最新記事 2022年06月06日

テーマ: 国語

読書と国語

こんにちは、太田 陽光です。
今回は、国語の力と読書は関係するのか、について書きます。

国語は文章を読むことが前提条件になるので、
読む力があることは重要な要素であり、
読書が趣味であること・本を読むのが好きであることと、国語力は当然関連してきます。
なので、読書が好きであることは、国語において、非常に有利となります。

ただし、「読書が好きであること」と「国語が得意」は必ずしもイコールにはなりません
それは、読書は「主観的な読み方」が大いに認められるのに対し、
国語は「客観的な読み方」が求められるからです。

「客観的な読み方」とは、
自分の考えは脇に置いて、筆者が書いたことを書かれた通りに読み取る
ということです。
自分の思い込みで読んでしまったため、本文とは違うことを結論として出してしまうと、
読書が好きということが、かえってマイナスになってしまいます。
ですので、塾講師の中には、「読書は国語の成績に関係ない」という人もいます。

けれども、私はそうは思いません。
読書が好きということは、読むことに対する集中力をすでに持っているということです。
この能力は、簡単に身につけられるものではありません
ですので、読み方の幅を持てばよいのです。

読み方の幅とはどういうことでしょうか?
それは、
「主観的な読み方」と、「客観的な読み方」の両方を使う
ということです。

「自分ではこう思うけれど、筆者はこう考えているのだな」

自分と他者の思いを、二つとも考えられること、これが「客観的な読み方」です。

また、「主観的な読み方」は一見問題があると考えらえますが、
読書をするとき、「主観的な読み方」を全て排除することは不可能です。

たとえば、物語を読んで、
「涙を流した」という表現があったとします。
その時、「あっ、主人公は悲しいんだ」
と感じることは、「主観的な読み方」と言えます。
この読み方は、国語講師である私もしています。

問題は、その根拠が、「涙を流した」という表現の前後にあるかどうかです。

「私の応援している野球チームが勝利した。私は涙を流した。」

という文章であった場合、
当然この涙は「うれし涙」になります。
このような、言葉に対する自分の記憶だけに頼るのではなく、根拠をもって類推すること
これも、「客観的な読み方」と言えます。

この読み方を身につけることができたなら、
読書が好きな受験生は、もともと読むスピードがあるでしょうし、
考え想像しながら、読む習慣もあるわけてですから、
国語で安定して成績を出せると思います。

では、読書に興味がない、むしろ嫌がる人に対して、
読書を好きになってもらうには、どうしたらよいでしょうか。

私が受験ドクターで教えるようになってから、
読書が大好きになったということで印象に残っている生徒は二人います。
そのどちらも、最初は国語に対する拒否意識が強く、読書など全くしなかったそうです。
ところが、授業を受けていくうちに、
国語への拒否意識が払しょくされ、
読み方を身につけだすと、
自分から本を読むようになったと、親御さんからご報告がありました。

読書に興味を持つ入口は色々あると思いますが、
拒否意識を払しょくすることが第一であると思います。
そして、どういう読み方が自分に合っているのかをつかめたとき、
もうその人は、読書が好きな人になっている、
少なくとも読書に対する興味はもってくれていることでしょう。

中学受験の国語のために、無理やり読書を好きになるように仕向ける必要はありません。
ただし、読書が自発的に好きになれたら、とても素晴らしいと思います。
それは中学受験の国語にとって、ということですが、
人生が豊かになるということでも、素晴らしいことだと思います。

読書が好きな生徒が一人でも増え、
お互いに読んだ本について語り合ったり、
面白かった本を紹介し合ったりするのも、
国語講師としての楽しみの一つです。