最新記事 2017年08月31日

テーマ: 国語

わからない言葉がでてきても…!

みなさん、こんにちは。受験ドクターのNです。

授業内で読解の演習をさせていると、文章を読んでいる途中で
「目の動きがとまってしまう」お子さんがいます。

注意深く観察してみると、決して集中が途切れてボ~ッとしているわけではない。
困惑の表情になっているのです。
ある言葉の意味がわからず、それが気になって気になってしかたがない。

あえてそのまま黙って見ていると、やがて
「先生、この◆◆って、どういう意味ですか?」と。
知らない言葉があると気になる、意味を知りたい。これは当然の反応です。
すくなくとも、全く気にならず機械的に活字を目で追っているだけの子よりは、ずっとマシです。

ところが、これを全面的によしとすると、大変なことになってしまうのです。
なぜだかお分かりですか?

テスト中、辞書を使うことは、ふつう許されません。
むろん、試験監督に質問することもできません。

先に紹介したお子さんは、自宅で宿題の読解に取り組むときはマメに辞書をひいているそうです。
でも、テストの時には、それができません。
だから「固まって」しまうのです。

私は知識の力を否定しません。知らないよりは知っているほうがいいに決まっている。
ただ、それで合格できるのか?
問題は「入試で合格するための優先順位」なのです。

まず、知識の配点について。
慶應中等部や灘の一日目のように、たいへんウェートの高い場合もごく一部ありますが、
一般的には、全体の二割から三割といってよいでしょう。
言い換えると、「配点の七~八割は読解」ということです。難しい言葉をたくさん知っているボキャブラリー自慢のお子さんが入試で大きなアドバンテージを得るなどという話はない、ということです。

次に「読解における言葉の知識の位置づけ」について。
「注釈」というものがありますね。文章の後ろに※などのマークをつけて言葉の意味を説明するものです。あれをみて、何をお考えになりますか?
「読解上の重要な語句だが、多くの受験生にとっては難解であろうと思われる語句」、
あるいは「注釈がのっていない語句は意味を理解していることが前提とされている」、
こんな感じでしょうか。たしかに、そのようにとらえられる場合もありますが、実際はこうなんです。

A 読解上とくに支障をきたさない語句が載っていることが多い。
つまり、「どうでもいい」細部の具体的あるいは専門的な語句。固有名詞も含む。
B 中高生にとっても難しいと思われる抽象語句が説明されていない場合もある。

Aについては、受験生をかく乱することを狙っているとしか思えないものも少なくありません。
実にさまざまな言葉の意味を懇切丁寧に説明してあるのを見ると、
「こんなところは読まんでよろしい」と生徒に言いたくなることさえあります。

Bについては、「注釈を入れ忘れた」とは考えにくいですね。私がみるかぎり
「あえてそうしている」のです。つまり、
「その言葉の意味が分からなくても要点を把握できる」という力を試しているのです。

ご自身の経験で考えてみてください。本でも新聞でも何でもいいのですが、
知らない言葉がいくつかあったとして、それで読めなくなってしまいますか?
その反対に、
文章中に知らない言葉がひとつもなかったとして、
それで「充分に理解できた」と言い切れますか?
「木を見て森を見ず」になってはいけません。

ひとつひとつの語句の意味を知っているかどうかよりも、
「意味の流れを丁寧にたどり、大切な内容を確認し整理する」
入試ではそのような読み方が要求されるのです。

最後に、「それでもウチの子は言葉を知らないんです。先生の言うレベルは
『ある程度デキル』お子さんでしょ!」とおっしゃる方のために補足しておきます。

それなりに読解演習を重ねているはずなのに、語彙のレベルがあまりに低い場合、
目にしている言葉が意識化されぬまま「素通り」してしまっていることが考えられます。

いますぐ「音読」をさせてください。
教材の文章でかまいません。まちがっても「意味調べ」を強制しないことです。
言葉の知識は、生きた文脈のなかで理解していくことこそが大切なのですから。