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慶應義塾中等部 / 学校説明会 / 実況中継

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1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

私の名前は斎藤慶典(よしみち)と申します。中等部の部長であると同時に大学の文学部哲学科の教員をしております。私が今日お話しするのは、この慶應義塾中等部という学校がどんな学校であるかについて皆さんにお伝えする役目です。そこでこの話を更に2つに分けまして、前半の「慶應義塾」という部分と「中等部」という部分に分けてお話しようと思います。

慶應義塾について

まず慶應義塾という部分ですが、これは更に2つに分かれます。「慶應」と「義塾」です。

皆さん、慶應という名前は何に由来するかご存知でしょうか。
あまり知らない人も多いのではないかと思うんですが、これは年号ですね。現在ですと平成。その前は昭和というように日本は使っていますね。この年号の1つが慶應です。慶應という年号は何時かというと、江戸時代の最後の年号が慶應です。そしてその前が、安政です。実は私たち慶應義塾は、この安政5年に誕生いたしました。

創設者は福沢諭吉という人です。この人がどういう人か詳しくは知らなくても、皆さん顏ぐらいは見たことがあると思います。今使われている一番大きいお札の顏が、この福沢の顔ですね。この福沢が安政5年に、東京の…当時はまだ江戸ですが、江戸の中津藩の屋敷に蘭学塾を開きました。そして大阪の適塾という所で、緒方洪庵先生に当時最先端だったオランダ語を習いました。その後、学んだオランダ語を引っ提げて東京にやってきたんですが、早速自分の中津藩の官邸の中にオランダ語を教える塾を開きました。

これが安政5年/1858年の事です。私たちは、この年を慶應義塾発祥の時としています。
従いまして、今年で153年という日本の近代的な学塾の中では最も長い学塾となった次第です。

1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

ところが、この設立の時はまだ安政5年です。そして、実はこの塾には名前がなかったんです。単に福沢塾とか蘭学塾と言われていただけで、特定の名前はありませんでした。しかし、その間に福沢は幕府の使節団などに同行して何回か実地に欧米を見てくる機会に恵まれました。

小学校高学年の皆さんになると学校で習ったかと思いますが、江戸時代というのは鎖国という政策をしていたこと、皆さんは知っていますか?国を海外に対して閉ざして、その内部で何とか平和の国をやっていこうという方針だった訳です。
それにはそれなりのメリットはもちろんあったわけです。長い200年以上に渡る平和な時間がありましたので、江戸期に日本固有の文化が花咲きました。そういうメリットもあったわけですが、世界の情勢から見ると、世界は例えば自然科学をどんどん発達させて、便利な技術が育っていっておりました。

それから、政治システムですね。社会のしくみも、出来るだけ多くの人々が満足して暮らせるような社会のしくみをフランス革命から始まって様々な施策が行われていたわけですが、こうしたものが完全に立ち遅れておりました。
そして、閉じこもっている限り自分たちが遅れていることすら分からないのですが、実際福沢が渡航して「何が今の日本に欠落しているか」「本物の日本として無くてはならないものは…」というものを、沢山目の当りにして帰っていきました。

そして、自分の学校を作った1858年から10年経った1868年に彼は1つの決心をしました。

福沢は最も有能な人で、翻訳やヨーロッパの事情を知らせる様々な言語書を書いて常に時の人でありました。ですから、明治維新を担う人たちからも盛んに誘われていたんです。しかし彼は一切のそういう幕府や管理への仕事に就くことを拒否して、ひたすら教育に一生を捧げる覚悟を固めます。

これは1868年の事でして、この年が慶應4年なんですね。時の年号でいう慶應4年です。そこで彼はこの拒否心の1つの証として、既に10年前から開いてた自分の学塾にきちんとした名前を付ける事を思い立ちます。そこで、時の年号である慶應を取ったわけです。これが、慶應義塾の前半です。

1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

そして、この慶應4年という年は、実は明治元年と重なっております。この名前を付けた4月前後にはまだ慶應4年でしたが、その後ついに維新が起こって幕府が倒れ、明治政府が成立します。日本の近代化の始まりです。日本という国が大きく転換する年です。この年の10月に明治元年となります。ですから、まさに世の中が大きく展開する陸上の中で慶應義塾が固有の名前を持って再出発をしたことになります。今の説明が慶應という部分の名前です。どうか覚えておいて下さい。

さて次に義塾という所ですが、これは意外と皆さんすっと通り過ぎてしまって、しばしば私たちの学校を慶應中等部とか慶應大学と一般には呼んでしまう傾向にあります。この「義塾」が脱落することがしばしばあります。これは、福沢にとっては非常に残念な事であるに違いません。というのも、この義塾と言う名前は福沢が新しい自分の学校に込めたその学校の在り方、それがどういう学校であるかを示すものだからです。

この義塾というのは、英語のパブリックスクールの翻訳語です。パブリックスクールというのは、一般的な英語訳では公立学校という意味です。しかし、その本来の発祥の地であるイギリスでは、いわゆる公立学校のことではありません。これは、ご存じの方いるかと思いますが、むしろ正反対の私立学校の事なんですね。これは、どういう趣旨の学校かと言いますと、だいたい学校というのは昔から、御上が付くか。社会の支配者である、公の人たちがその社会を維持するために必要な管理、お役人ですね。管理を要請するために作るというのが、基本でした。あるいはそうでなければ、有力な宗教ですね。ヨーロッパですとキリスト教。日本ですと仏教。そういう宗教をバックボーンとして、宗教の信者さんたちの指定の教育になるように。あるいは、その信者を育てるために学校組織を立ち上げました。いずれにしても、世俗の権力であったり宗教的な権力であったりというものが学校の母体、教育の母体だったのが人類の長い歴史の事実なんですね。

1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

ところが、イギリスのある市民階級の人たちは「教育というのは本来それを受ける人のためのものだ」という風に新しい考えを持つようになります。御上のためでもなければ、宗教のためでもない。それを受けるのは本人のためのものだ。そのためには、本人はまだ子供であったり社会人になる前です。ですから、本人とそれを保護する人たち、そしてその人たちのために教育に従事する人たち。こういう人たちが集まって、それぞれが出せるものを出して、1つの学校を作ろうという理念が持ち上がります。これが、パブリックスクールの基本的な考え方なんですね。

それで福沢は実際にイギリスへ行きまして、このパブリックスクールの教育の現状を見て基本理念を聞いて、大いに共鳴したそうです。世界で非常に国力の強い国、イギリスはその筆頭でアメリカ、あるいはロシアといった国に、日本というちっぽけな島国が長くしてやっていく。そのためには、日本を担う1人1人がしっかり自分の足で立って、自分の頭で物を考えられる独立した人格にならなければとても太刀打ち出来ないと、このように考えたそうです。

そして、そのような人物を育成してくれる学校は、この公立学校(パブリックスクール)という形でなければならない。それで日本にはそんなものはかつてあった試しがありませんでしたので、これを自分の学校で実践したいと。そういうことでこのパブリックスクールという英語を何とか自分の学校に付けたいと思ったんですね。それで、福沢諭吉はたくさんの略語を作りました。

ちょっと脱線しますが、三田キャンパスには演説館という国の重要文化材になっている建物があります。この演説という言葉は、英語のスピーチである翻訳語であるとか皆さん知っていると思いますが、これも福沢が作った略語です。こうした、沢山の略語を工夫した福沢はとてもセンスがあった人だと思いますが、彼はそのパブリックスクールを当初、共立学校と訳しました。共に立てる学校ですね。教育に志を持つ人たちが、共に力を合わせて、そっちの学校を立ち上げて、お金を出せる人はお金を出す。土地を提供出来る人は土地を提供する。教える才能のある人は教える。こういう風な形で運営しようという事です。ただ、残念ながら公立学校というのはやや長いと彼が感じたのでしょうか。繋ぎが悪いと感じたのでしょうか。日本の長い史的伝統である漢字文化圏に何かもっとこれに近くてすわりのいい言葉はないかと思って、彼は中国の文献に入りました。そうしたところ、彼はまったく同じ意味ではないですが、比較的近い意味にこの義塾という言葉があるのを発見します。そして、これを自分の学校に付けようという事で命名したわけです。託して、慶應義塾という名前が定まりました。これが1868年慶應4年の事であり、その年の後半には明治元年に移行したという事です。

1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

中等部について

さて、今度は後半です。私たちの学校の中等部というのは、何に由来するかという事です。慶應義塾には、普通部という兄弟部のいわば兄貴部にあたる、もっと古い中学校があります。これは旧姓時代から続いておりますので、単純に現在の中学校と同じという事は出来ません。ですが、それに対して私たち中等部は、先ごろの戦争が終わった後、1945年の8月にその戦争が終わりましたが、その戦争に日本は負けました。その後に、早くも1947年の4月には新しい学校制度が日本国流に制定されます。進学制ですね。この新しい学校制度が成立すると共に、普通部は普通部で存続し、慶應義塾にもう1つの新しい中学校を作ろうという事で誕生したのが私たちの中等部です。中等部が設立の当初に何を自分たちの教育の根本に据えようと思ったかというと、それは自由ということなんですね。自由というのは、別に戦後になって初めて出てきた理念ではありませんで、実は福沢が自分の慶應義塾という学校を明治の当初に作った時に、もう既に視野に入っていたものです。これも福沢の言葉として有名な言葉なので、どこかで聞いたことがあるかもしれません。「独立自尊」という言葉があります。

さっき言ったように、新しい日本という国を担う人物は、自分の頭で物を考え自分の足で歩ける人物でなければいけないというような彼の教育理念の根本ですね。それを、表現する1つの言葉が「独立自尊」です。独立というのは何かというと、「人に惑わされない、自分自身の足で立つ」という意味です。これ裏を返せば、人にああしなさい、こうしなさい、と言われてやっているうちは独立ではないという事です。独立するためには、人に言われてやるんではなくて、自分が考えた末にそれが良いと思って、自らの責任でやるから独立することが出来るわけですね。人に言われてやるんではなくて、自分自身に何かを選ぶことが出来るためには、その人は自由じゃなくてはいけないんです。人から何か命令されてやる存在では、自由とは言えないわけです。
ですから、人が自立するためにはその根本に、自由というものが確立してなきゃいけないという事になります。そして、またその自らの自由で自分の行動を選び取った人は、その自分の行動に責任を持つと同時に誇りを持つ事が出来ます。人に何と言われようと、考えに考え抜いたあげく、自分はこれが良いと思ってやったという一種のプライドを持つことであります。これが、独立自尊の自尊ということです。ですから、威張ってるという意味では全くなくて、自らの行為に責任と誇りを持ちうる。そして、この根本に自由があるわけです。

1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

大正時代には大正デモクラシーなんていう言葉が残っているのからもお分かりのように、日本にもかなり根付いたかな、と思われる時期もあったんですね。人々が自由を謳歌出来るという時代が到来したかにも思えました。ところが、現実歴史はその直後に暗転するわけです。昭和に入った途端に軍部の力に徐々に皆引きずられ始め、そして必ずしも多くの人が望んだとは思われない、あの世界戦争に日本が突入していったわけですね。そして自由を多く掲げていた慶應義塾も、戦争中は随分「短剣の弾圧」を受けたと聞いております。
そうした苦い経験を負った私たちの先輩が、新たに焼野原になったこの日本の国から、若い人たちの教育に再スタートするにあたって思い出したのが、この自由をもう1度本当の意味で、しかも若い人たちの中にしっかり根付かせなければこの国の将来はない、こう考えたと聞いています。

さて、しかし自由というのはどういう事だと思いますか?何かやりたい事をやれれば自由だというのが、我々の頭の中に漠然とあるんじゃないかと思うんですね。しかしそれは、自由でも何でもないんだよという事を私はよく中等部の生徒諸君にもお話しています。喉が渇いたから水を飲む。お腹空いたからご飯食べる。好きにさせてもらえれば、本当に自由でいいなと皆思うかもしれません。ですけど、これは全然自由でも何でもないんですね。どうしてかと言いますと、お腹が空いたからご飯食べる、喉が渇いたから水を飲むというのは、私たちが生き物である以上、どうしてもやらなくてはいけない事。つまり生命を維持するためには必要不可欠な営みなんですね。それで生き物は皆、生きるための本能というのを生まれながらに備えてもらっていきます。ですから、この本能の命令に従って、私たちが何かしたいと思い、それをやったりしているわけです。そういう目で眺めると、私たちがしたいと思ったという事の多くは、よくよく考えると自由でも何でもなくて、それをしなきゃならない場合が圧倒的に多いです。それは本能のレベルだけでなくて、社会のしくみでそうなっているからとか、皆がそうするからっというレベルのものは沢山あります。若い人たちもこれから経験を積むうちにそういう事に気が付くと思います。

1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

そうしますと、逆にどこかで誰かに命令されてるのではなくて、本当に自分が選んだものって何だろう、あるいはどうやったらそんなものを発見することができ、しかもそれを実現する事が出来るのかというのは、とても難しい事。少なくとも、どっか事実がその辺の出来合いで転がっているものじゃなくて、何か自分で見出して、そしてそれを大切に育んでいかなければものだという事が分かってもらえると思います。自由がどういう形で実現するかはですね、ちょうど君たちの顔が何千何万とあるのに、罰として同じ顏がないのと同じだよというような話も私よくします。他人から見ると大した事じゃなくてでも、その人にとっては本当に自分がそれをやりたい事であることも沢山あるわけです。その時々の状況の中で、どんな風に実現するかというのを同じ状況が決して2つと無いのと同じで、皆変わっていくんですね。

従って、私たちは中等部生諸君とその時々に彼らがしようとする事を「一旦立ち止まってよく考えてみよう、それが本当に君たちがやりたい事なのかどうか、そうか、じゃあ本学を出たら思い切ってやりなさい」というような形で普段接しています。こうした事の積み重ねの中からしか、その人に固有の自由というのは決して育たないと我々は信じているからです。こんな形で中等部は、自由というのをその教育理念の根本にするようになりました。

ちょっと堅苦しい話が続きましたので、最後にこの自由の中等部における、少し具体的なあり方をパンフレットの見開き裏のページでご説明しようと思います、中等部の歌というのがパンフレットに載っています。なかなか達筆の筆で書いてあるので読みにくいかもしれませんが、そこを見て下さい。ここには、1948年。創設の1年後には既に作られました、中等部の歌の歌詞が掲げられています。この詩者は折口信夫という人です。この人は大正昭和の日本の国文学を代表する学者で、当時この慶應義塾の文学部の、国文科の教授でございました。

そして中等部の創設に大きく関わった、若い国語科を中心とした教員たちは折口の弟子が沢山いたんですね。そうした弟子たち、そして新しい中学生たちの期待を込めて折口が書き下ろしてくれたのが、この中等部の歌です。この折口は釈迢空という名前で、これも日本近代を代表する歌人としても非常に名前が高い方です。

1.中等部部長 斎藤慶典さんのご挨拶~教育理念について~

彼が4番に分けて作ってくれた歌の1番の最後を見て下さい。「若きは 清くあれ」と書いてあります。この清くという所を私たち中等部は次のように解釈しています。得てして教育というのは、大人や先生たちの見方を知らず知らずのうち、押し付けがちになるんですね。それは場合によっては、大人たちも気づかない形で歪んでいる場合があるんです。我々も日々それに気を付けてきますが、知らず知らずのうちという事もあります。むしろ子供たちの新鮮な眼差しに驚かされる事があります。ぜひ若い中等部生諸君にはですね、まずその自分自身の目を磨く事ですね。先入観に捕らわれずに自分自身の目で物事をまっすぐに見つめる、そんな目を養い、鍛えて欲しいというのがこの、「若きは 清くあれ」という歌詞に込められていると解釈しています。

2番の最後。「若きは ほがらなれ」と書いてあります。これはほがらかという心持ちを表しています。君たちはまだ若いですから、これから長い人生の間に決して楽しい事ばかりではなくて、辛い事・悲しい事・悔しい事に出会うに違いありません。そうした時に、決してそれらから逃げないで欲しいという事です。それらに真正面から向かいつつ、それを自分の懐に抱き止める。受け止める。そうした懐の深い心の在りようが、ほがらかさに繋がるんだと、私たちは信じています。中等部は明るい学校だとよく言って下さいますが、その明るさの根本にこのほがらかさが宿っていればと願っている次第です。

3番は「若きは ほこりあれ」と書いてあります。君たちが中等部生になった時にはですね、日本のトップクラスの中学校の生徒として色んな所で人々に見られています。あんな事をして恥ずかしくないのか、みっともないねと決して言われないように、しっかりマナーを身に付けよう、という事を中等部はうるさく子供たちに言っています。このマナーというのは、ひとつの例に過ぎませんが、まさに独立自尊の自尊ですね。自らの責任で行った行為に誇りを持つという事を大切にしています。

最後ですが、4番。「若きは ゆたかなれ」。中等部は非常にたくさんの豊富な教育プログラムを用意して君たちを待っています。他にも様々な学校行事、今日先ほどご案内した展覧会もその行事の1つですが、他にもたくさんの生徒たちが参加する行事があります。これが、2本目の柱ですね。それから3番目の柱に交流会と中等部は言っていますが、運動部や学芸部というクラブ活動がとても盛んですし、学校もそれを奨励しています。これもまた、君たちの中にまだ眠っているたくさんの可能性に君たちが気が付く。そのきっかけを提供したいという思いで中等部がたくさん用意しているプログラムです。こうした中等部生活の具体的な有様をこの後、山崎さんのお話それからビデオを通してじっくり見て頂きたいと思います。

そして長くなりましたが、私からのお話は以上でおしまいになります。
ご清聴ありがとうございました。

2.山崎先生による学校紹介

それでは引き続きまして、私からはパンフレッドを見ながらこの学校生活の全般をお話したいと思います。
このパンフレットの表紙をご覧頂ければと思いますが、この表紙は説明会のために生徒から募集した作品のうちの1つでございます。このパンフレッドは、教職員と生徒が手作りで作りましたものですので、後程ぜひ目を通して頂ければ幸いに存じます。

さて、この表紙の白い物体が何だか分かりますか?人間か動物か分からないような生き物なんですが、実はこれは慶應義塾や中等部がシンボルとして大切にしてきたものです。ページを開いて頂くと、「ある日の中等部」というグラビアのページがあります。4人の中等部生の真ん中後ろに1つの像がありますが、これは「ユニコーン」という威嚇獣というものですね。これを中等部としては、シンボルとさせて頂いてまして、中等部の校舎の入り口の両端一対のユニコーンが設置されております。よろしかったら、後程ご覧下さい。

●制服

「基準服」という服装を着ております。あえて制服と言わない理由を一言お話いたしますと、中等部には制服はございません。ですから、常日頃この基準服を着てくるわけではなくて、この基準服は式典の時や郊外での活動の際に着用するものになっております。日頃は通学するために通学服というものを着てくるわけですが、この通学服は基本的に自由です。ただし、自由という事ですけど、自分で考えてその場その場どういう服装がいいのか、学校に勉強に行くにはどういう服装がいいのか、TPOというのを自分でしっかり考えて服を着てくるようです。

●施設

パフレットに新体育館というのを紹介させて頂いております。この3月に、慶應義塾創立150年の記念授業の一環として中等部に建てて頂いたものでございます。慶應義塾の関係者の方々のご寄附等とこれによって実現したものです。この施設によりまして、慶應義塾中等部の教育活動がますます充実したものになっていると現在私も実感している次第でございます。

2.山崎先生による学校紹介

●学校生活

中等部の学校生活で大切な考え方

「自ら考え、自ら判断し、自ら行動して、その結果に責任を持てる自立した人物になって欲しい。」
先ほどの部長の話にも通じていると思います。実はこれは福沢諭吉の独立自尊の考え論ですね。中学生に分かりやすく実践しやすくという事で中等部が創世記の頃から大切にしている考えです。
「自由の中に規律を求める。」
自由と規律というものを大切にしている学校でございます。ただ、この自由と規律と言いますのは、大人でも難しいことです。中学生に求めるには、やや難しいなと日々感ずる事はありますが、何とか目指して日々の生活を、教育活動を行っている次第でございます。
「中等部生上、生活上、守るべきこと知っておくべきこと」
これは普通に言う校則に当たるものなんでしょうが、中等部では校則という形で生徒に「これはしてはいけない」というのは極端に少なくしたいと思っておりますが、守らなくてはいけない事という形で決めております。例えば服装。「中等部生としてふさわしい、気品のある端正なもの。」これを元に後は考えて下さいというような学校です。ただ、自由であるがジーンズは避けると。やはりジーンズというのは学校で勉強する際にはふさわしくない。アクセサリー等つけない。もう時代と共にですね、こういうようなものは言っておかないと「自由でしょ。」という方も中には居たとご理解頂ければと思いますが、我々としましてはこういうものは早く無くしたいという風に思っている次第です。次に「授業に必要のない電子機器は持ってこない。」という事ですが、携帯電話について一言触れますが、中等部では学校での生活では携帯電話は必要ないと考えておりますので、持ち込み禁止という学校です。ただ原則禁止と言いますのは、例えば登下校で大変心配であるとか、そういう保護者の方々の要請に応じて、届出を出して頂くことによって、そして朝担任・教員に預けることで持ってくることを認めている制度にしております。

2.山崎先生による学校紹介

●交流会

これは、クラブ活動の事です。中等部は、学芸部が23、運動部が17あります。この学芸部の発表の場が、本日中等部で開催しております展覧会という風にご理解下さい。

●教職員と生徒

「お互いの信頼関係に基づいた明るい人間関係を築く。」これを我々日々目指しております。中等部はよく、明るくて楽しい学校だと言われますが、私の考えでは何が明るいかという中で一番大事なことは、この明るい人間関係という事を一番私としても大事にしております。

●教育課程

「学科において、偏らない知識を得て幅広い経験を積む。」「様々な体験を積み重ねることで、自分の可能性を発見する。」要するに中学生ですから、たくさんの可能性を持ったお子さんたちが多いと思います。そのお子さんたちに色々な勉強、色々な経験をしてもらって、幅広い経験の中で、自分は将来こういう事がしたいんだという自分を見つけて欲しいと。中学のうちに基本的なことをたくさん身に付けたうえで、更なる専門性を深めることは高校や大学でやって下さいという風に考えております。

そしてこの学校は御存じの通り、大学の受験を目指す学校ではございません。そして、他人との過度の競争を煽る学校ではございません。強いて言うとしたら、それぞれが自分の目標を決めて努力をするという事でですね、自分自身と競争する学校と言っても過言じゃないと考えております。

●授業の時程

1時間目が8:10という事で早いですが、これはラッシュを避けるというような事で早い登校、早い下校というようになっております。予鈴というのが8:05にあります。それで朝のホームルームはございません。ですから予鈴で教室に入って、8:10から1時間目の授業です。45分授業で2時間目の後に20分の休憩があります。そして午前中4時間~昼休みで、6限が終わるのが14:20。夏場の下校時間は17:30ですので、その後十分クラブ活動で汗を流したり、色々研究したりという時間に充てております。
~昼食について~
中等部は給食がございません。そして食堂もございません。ですから、3年間昼食はお弁当という形になっておりますので、宜しくお願いいたします。ただ生徒食堂という所に、おにぎりとか簡単な甘いパンみたいな自動販売機がございます。ただこれは、捕食程度に考えて頂かないといけませんので、お弁当をお勧めしたいと思っております。

2.山崎先生による学校紹介

●週あたりの授業時数

ご存じの通り、本校は新しく学習指導要領が改定されまして、来年の4月からこれが実際に行われることになります。中等部でもここ数年かけまして、もう一度教育課程を洗いまして、カリキュラムも今年度決定いたしました。それで、現在と変更が1点だけございますので、それを説明させてい頂きます。
選択という科目があります。今年度まで、この選択授業は2年生に2時間、3年生に2時間。2~3年生で2時間ずつ設けておりましたが、来年度から選択授業は3年生に2時間のみとなります。
それで、これまでの2時間を何に充てるかというと、情報という科目です。1年生にしか情報の授業はなかったんですが、来年度から2年生にも情報の時間を1時間設けます。そして2年生の数学演習というこれまで3年生にしかなかった授業が、1時間2年生に設けることになりました。

●学校行事

学校行事が盛んであるとお伝えさせて頂きましたが、どうして行事を大事にしているかと言いますと、中等部は皆でやることを大切にしている学校です。ですから、こういう行事を通じて皆で協力して1つのものを作り上げる、それを大切にしている学校です。

●同窓会活動

中等部では3年生を卒業する際に全員が同窓生という形になります。そして、中等部を卒業して25年経ちますと、卒業25周年という企画がございます。40歳になってもう1回中等部に戻りましょうというような企画です。これを実は昨日、37回生という方々が行いました。来週の土曜日には、卒業して50年経ってもう1度集まりましょうという、卒業50周年・65歳の12回生が集まることになっております。ちなみに来年度、1年生に入学されますと、中等部の66回生というような回生になります。

●慶應義塾の目的

先程部長からも、慶應義塾の話がありました。先ほど内、私の方で部長の事をさん付けで呼んでおります。斉藤さん。私ですと山崎さん。実は中等部は先生のことは生徒がさん付けで呼ぶ学校です。これは草創期の頃から、こういう形でフレンドリーな形で仕切りを外して、垣根を外して先生と子供たちが同じ目線で教育活動をやっていこうという学校です。ただ、さん付けだからといって、先生を軽んじてるわけではございませんので、そういうような事が自然に身に付いている学校だとご理解下さい。

2.山崎先生による学校紹介

●出願について

~募集人員~

1学年の定員のお話をいたしますと、各学年の定員は1学年240名でございます。男子が156名。女子が84名。ただ入試で募集する人員は、約140名の男子・約50名の女子と書かれております。これは幼稚舎という小学校から進学してくる生徒の人数によって多少の変動がございます。以前、幼稚舎が女子を12名増やした時があるんですが、女子を幼稚舎から12名多く受け入れる場合でも、受験で来て頂く人数は見出しと一切変えておりませんので、中等部で入学を認める生徒は従来と同じ約50名という風にご理解下さい。

~募集要項~

本校で販売されている募集要項の説明書よりご確認下さい。

~出願期限~

1月の20日21日の消印を持って受付とさせて頂きます。

~入学試験~

1次試験。これは筆記試験のことです。2月3日に実施させて頂いております。教科は国語・算数・社会・理科の4科目でございます。そして2次試験と言いますのは、1次試験の筆記試験で合格された方々を対象に致しております。内容は、体育・面接。面接は受験生本人の方のみと保護者の方にご足労かけて行う面接です。これは、共にグループ面接ではなくて、個人面接という風にお考え下さい。また面接は、知識を問うものではございません。ですから、自分の考えをしっかり示して頂ければ結構かと思っております。体育につきましてですけども、色々な種目を行いますが、運動能力というのも見せて頂いております。それと同時に、取り組む姿勢なども参考にさせて頂いております。そして、この1次試験と2次試験の両方の結果で、最終的な総合的に合否を判断しておりますが、1次試験の点数が高い方が最終的に有利であるということは言うまでもございません。

~2011年度1次の受検者数、合格者数~

受験者数
男子859名、女子393名。受験率、男女合わせて85.5%。
1次の合格者
男子400名、女子145名。
2次試験受験者数
男子293名、女子131名。受験率、女子90%以上。男子75%。トータル77.8%。

●緊急事態発生時の対応について

3月11日の大震災を受けて、中等部でも万一の際の対応について現在検討しております。この緊急事態発生時の対応につきまして、本日皆様に申し上げられることは、児童の方々、保護者の方々の安全確保に万全をきすということで現在検討を重ねている次第でございます。

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