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投稿日:2011年08月29日

テーマ: 受験情報 / 国語 / 自由が丘校

印象的な・・・・・。

夏期講習も終盤に差し掛かり、そろそろ9月以降のカリキュラム作成をしなければならない時期になりました。

志望校の過去問に着手する生徒、まだその段階に達していない生徒、念には念を入れて過去問を解く前の最後の詰めを行う生徒、ほんと、さまざまです。

だから、使用テキストもさまざま。当然、市販のテキストが多いので、実は少ない夏期講習中の休みを利用して本屋に通ってテキスト選びをしていました。

今は国語でも様々な問題集があるのですね。昔は、本当に少なかったのですが・・・・。

ついでに大学入試コーナーを物色していると、幻の名作で復刻版「新釈現代文」などを目にして、思わず衝動買いしてしまいました。(笑)

大学入試は結構、ネタとして使えるんですよね。難関校の題材のバックボーンとしても活用できますしね。

もちろん、ちゃんと人間らしい生活もしております。

お盆には実家に帰ってお墓参りもしてきました。1泊しかできませんでしたが(笑)

しかし都内に住んでいると、お盆や土日の人の少なさは都会の違った一面を見ているようで楽しいですね。私は都会も田舎も好きですが、人が多いところは苦手です。

3,4年前は千駄ヶ谷に住んでいたので、たまに六本木ヒルズのナイトムービーを見に行ったり、展望台で夜景を見ていました。やはり都会の夜景はきれいです。

今は、諸事情により行く予定はありませんが・・・・(泣)おっと、横道にそれてしまいました。生徒の中には、そういうものと無縁の生活をしていると思われているので、反発心で書いてみました。

では、ここ最近のブログ見ていると生徒の話が続いているので、私もマネします。(笑)

私がもっとも印象に残っている生徒は、2名います。

一人は10年前のサピックス東京校の生徒でした。

当時、私は6年の基礎的なコースの担当でした。4年ではα1,2,3、5年ではアルファベット最上位コースを担当していましたが、6年は当時相当たるメンバーが担当していたので、私みたいな入社歴が浅い人間は基礎的なコースにまわされるのです。

当時、東京校はサピックスの本校と揶揄(やゆ)され、千葉や埼玉はもとより、名古屋から新幹線通勤する生徒もいました。なにせ、14校しかなかった時代ですから。

ちなみにこの「相当たるメンバー」は、ほとんど室長、教科長以上になっています。(もちろん、役員、教務部長も)非常勤は、サピ歴が長い御三家出身の指導力のある講師ばかり。(うち、2名とは今も親交あり。)

そんな中で、私が今でも印象に残っている生徒を担当することになったのです。

その生徒は男子で、父子家庭でした。成城中に進学したのですが、お父さんが必死に働いて生計を立てていました。しかし、塾代だけでもばかにならず、受験費用すら節約しないといけない状況でした。ちなみにその生徒が受験したのは3校。

第一志望の学校、成城中、一月校のみです。成績が良くて、このようになったのではありません。成城中でも四谷合不合で40%以下。全滅で公立進学が濃厚でした。

この生徒は6月までやる気があるのかないのか、必死に勉強という感じではなく、宿題もやったり、やらなかったりで、当然、成績も芳しくありませんでした。

しかし、夏あたりから急に猛勉強しだしました。

なぜ急に勉強しだしたのか定かではありませんが、私がお父さんと面談した後、本人を呼び出し、「お父さんの必死に働く姿を見て、変われないなら、私は人間として君を軽蔑します。」とあえて厳しい言葉を投げかけました。今、誰かが厳しいことを言わないと、この生徒は二度と変われないのではないかという危機感があったからです。

それを聞いた彼は反発したい気持ちがありありと出ていましたが、なにも言わず、帰って行きました。そのあと、お父さんとも話し合ったらしく、それから間もなくして猛勉強し始めました。

実は、その生徒は塾では一言も話さないのです。指名すれば話すのですが、それ以外は全く無言。そういう意味でもとても印象的な生徒でした。

そして、入試結果。第一志望は×でしたが、第二志望の成城は合格。正直、奇跡に近いことでした。しかし彼を印象付けたのは、この入試結果ではないのです。この後の彼の言動なのです。2月ごろ、彼はサピックスの東京校に来て、後輩(6年)たちを激励したのですが、その姿が実に立派でした。自分の合格した学校を堂々と後輩の前で言い、自分が合格できたのは、支えてくれた先生や父のおかげであること、努力すれば必ず結果が付いてくるなど、最後まで無口だった彼がしっかりとした口調で話していたのです。

もう彼は立派な青年でした。私も思わず、感動してしまいました。

ともすると、私も含め大人たちは偏差値や知名度で学校を評価しがちですが、そんな卑しい心を戒めてくれた彼に、今でも私は感謝しています。

そして、いまや私の教え子は述べ1000名を超え、その中の何人かは今もサピックスで講師として教えています。また、そのサピ時代の教え子の弟さんも今、ドクターで教えていたり、昨年ドクターで教えた教え子(桜蔭中に合格)の妹さんをまた教えたりと、ドクターでも縁がひろがりつつあります。

なぜ、塾講師になったのか、その答えはこのあたりにあります。

とにかく人に役立つことや自由でいることが好きで、独立心が強く、飽きっぽいが好奇心旺盛で、いろいろ考えたり、調べていくことが苦ではない私にはぴったりな仕事のような気がします。

大学時代は、学園祭のときに演劇の主役をやったこともあります。(笑)

ちなみに教師はむいていません。教育実習で痛感しました(笑)。とにかく堅苦しくて(笑)

さて、今回はここらへんで終わりにします。

次回は、サピックス西船校時代の生徒で、6年の5月ごろに14コース中11番目あたりで入室し、見事桜蔭中に合格した生徒を紹介します。