中学受験プロ講師奮闘記

受験ドクターのプロ講師が「指導ノウハウ」・「注意点」を公開!受験生・親御様をサポートします!

「中学受験プロ講師奮闘記」とは?

有名中学校への合格実績を多数持つプロの講師たち。どうしたら生徒さんがやる気になるのか、どうしたら成績が上がるのか。日々研究し、実践を積み重ねています。
このブログでは、そんなプロ講師たちの奮闘ぶりを紹介しつつ親御様方へのサポートしたいという趣旨のもと立ち上げました。
皆様の参考にして頂ければ幸いです。

義経=チンギスハン伝説

 最近、チンギスハンの墓が発見されるかもしれないという興味深いニュースを読みました。チンギスハンの陵墓の所在は長い間世界史の謎とされてきましたが、中国大連在住のチンギスハン34代末裔とされる80歳の女性が「チンギスハン陵墓が四川省カンゼ・チベット族自治州にあることは、末裔一族のみに伝わる秘密であった」と発表し、現地調査でも証言と一致する洞窟が確認されました。今回は、「義経=チンギスハン伝説」についてお話します。

  チンギスハン(1162年頃? – 1227年)は、一代で大小さまざまな集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を統一し、中国北部、中央アジア、イランなどを次々に征服してモンゴル帝国を築き上げました。他方、源義経(1159年-1189)は、兄の頼朝の平氏打倒の挙兵時に馳せ参じ、その軍事的才能を発揮して、源平合戦の最大の功労者となりますが、その後頼朝と対立し岩手県の衣川館で自害したとされています。

 ところが、時代が下り大正時代になり、、義経は衣川の戦いでは死なず、北海道、樺太と渡りチンギスハンとなったという「義経=チンギスハン伝説」が生まれました。

(肯定的な検証)

義経とチンギスハンの年令はほぼ一致している。

チンギスハンの別名を「クロー」というが、これは九郎判官のことではないか。

(否定的な検証)

義経は小柄だったが、チンギスハンは堂々たる体格だった。

チンギスハンの妹の存在をどう解釈するか。

 

 もしチンギスハンの陵墓が本当に発見されたならDNA鑑定等によって日本人だったかどうかは判明し、伝説は科学的に検証されます。では、伝説は非科学的で意味がないのでしょうか?わたしはそうは思いません。伝説とは科学的な仮説とは違い、ひとびとの夢やロマンがこめられた言い伝えのことです。義経はその最期があまりにも悲劇的だったがために「判官びいき」の国民性とあいまって「伝説」が生まれたのでしょう。英雄は死んだ後もひとびとの記憶とともに生き続けるのです。

このページはお役にたちましたか?
まったく役に立たなかった役に立たなかったふつう役に立ったとても役に立った (まだ評価されていません)
Loading ... Loading ...

この記事が気に入ったら是非ご登録を



他校の
受験対策はこちら

難関中学校別に対策専門サイトを立ち上げ!更新中! 一覧へ

開成中
麻布中
桜蔭中
女子学院中
駒場東邦中
慶応中等部
早稲田中
早実中
青山学院中
聖光学院中
暁星中
城北中
武蔵中
雙葉中
慶応普通部
慶応湘南中
豊島岡女子
フェリス中
明の星中
本郷中
桐朋中
渋谷教育学園渋谷中
筑波大付中
海城中
浅野中
世田谷学園
攻玉社中
芝中

グレーで表示される学校は現在制作中です。完成次第随時公開されますので、時々チェックしてください。

ページのトップへ