【御三家国語最高責任者】 夏川 寛至先生 国語

pro_natsukawa_s
  • 元早稲田アカデミー「NN開成 国語」責任者:【国語】のエキスパート!
  • Exiv西日暮里校校長を歴任
  • WAC新宿校校長を歴任
  • 国語の男女御三家対策ならこの先生にお任せ!
  • 個別指導塾ドクターでは、「スーパードクターコース」の先生として指導いただいています!!

経歴・バックグラウンド

夏川 寛至 なつかわ ひろし

■資格

漢字検定準一級

■趣味・特技

ドラム演奏

■好きなことば・座右の銘

日々是好日

※講師名はペンネームです。

pro_natsukawa_b
pro_natsukawa_s

なぜ国語の苦手な子が多いのでしょうか?

いったい、「国語」って何を学習する科目なんでしょうか?

「そりゃあ『言葉』に決まっているじゃないか。いろいろな言葉の知識や文章の読み方を身につけるんじゃないの?」 ←なるほど、たしかにその通りですよね。

それでは、次の点についてみなさんはどのようにお考えになりますか。

入試の文章読解は「読む」だけではなく「解く」ことが求められるが、「ただ読む」だけで「解ける」か?

「ふつうに読める」大人が入試問題を解いてみたとします。ある程度は対応できるものの…
「あれ、ウじゃなくてエなの?」(記号選択問題)    「答えが見つからないぞ!」(書き抜き問題)
ということがフツーに起こります。これは、その大人が「実は読めていない」ということを意味するのではなくて、「解き方を意識した読み方をしていなかった」ということであろうと考えられます。たとえ中学入試であってもあなどれません。レベルが上がればこのようなことはいくらでも起こります。おかしなことでもなんでもありません。

自然に体得できない場合、それでもとにかく「慣れ」重視でひたすら読ませるべきか?

指導者によっては、その解決法を「ボキャブラリーの拡大」に求めます。それはそれで一つの答えなのかも知れません。否定はしません。
ただ、私自身の今までの経験でいえば、「読書が大好きで語彙が豊富でありながら、読解の成績がたいへんかんばしくない」という生徒はたくさんいました。(さらに言えばその逆もしかりです。「読書が大嫌いで語彙も乏しいが、読解の成績は良好」という生徒も少なからずみてきました。)
このような子たちは、おしなべて「読み方」「正解を導くための技術的な方法」を知らなかったのです。演習量を増やせばなんとかなる、というわけではないのですね。

受験指導に携わる進学塾の指導は、学校と同じでよいか?

そうなると、ただ読んで解くだけではない、「何か」が必要になってきます。学校で「さまざまな文章にふれる」ことはとてもとても大切なことです。「音読」もたいへん重要です。
そのうえで、入試で合格するためには「解答力→得点力」につながる「読み方」、すなわち「方法論」がどうしても欠かせないのです。
このような認識は、私にとってはごくごく自然なことなのですが、どうにも現実が追いついていません。
生徒の成績を上げて合格させるために存在するはずの進学塾が、国語の読解指導においてあまりに手ぬるいことをやっています。
ここでは、その現状をつまびらかにし、お子さんの学習について見直しをするきっかけを提示していきたいと考えています。

1 読書会的指導

授業で扱う文章はあくまでも「素材」です。その内容を教えるわけではありません。

たとえば、学校の教科書や塾のテキストに、あの有名な太宰治の「走れメロス」が載っているとして、その文章で授業が行われたとして、それで国語講師が「今月は『走れメロス』を教えました」と報告してきたら、どんな方でも「そりゃオカシイでしょ」と思うはずです。授業で扱う文章があくまでも「素材」だというのはそういうことです。
たしかに、読解指導で「何を教えるか」はなかなか難しい。その証拠に、いままで世に出された参考書の類で、実用的な方法論を提示したものが果たしてどれほどあったか。
しかし、だからといって、その場限りの「材」でしかない文章の内容を細かく丁寧に解読することに終始している「授業」をここでよしとするわけにはいきません。
実例を挙げてみましょう。

〔文章内容〕
・主人公の洪作は貧乏。いじめられる恐怖にさいなまれている。
・同じ貧乏であることを理由にいじめられている女の子を助ける勇気がもてない。
・いま目の前に、捨てられようとしている黒猫がいる。
・洪作は黒猫を 助けようと決心する。

この文章はたいへん有名な作品であり、入試でも時代をこえて数多く出典となっている「名作」です。しかし、それでも「材」であることに変わりはありません。
さて、これをどのように扱いましょうか。
私なら、次のように扱います。

natukawa-1

では、これを「内容べったり」で扱うと、どうなるか。

洪作は「貧乏」だった。それゆえにいじめられてしまったんだね。でも、貧乏であることは悪いことなんだろうか? そんなことはないよね。でも、ときとしてそんなことで人は人を差別する。洪作はつらかっただろうね。しかも、同じ貧乏な境遇の女の子がいじめられている。助けたい…でも、助けられない…。
なぜなら、助けたら自分もいじめられるからだ。こわい、こわくてたまらない。洪作はそんな弱気な自分がいやになる。そんなときに、いままさに捨てられよう
としている黒猫を目の前にする。黒猫は、いわば差別されていじめられている洪作自身や女の子と同じ境遇だ。洪作は思う。
ここで見て見ぬふりをしたら、自分はいつまでもひきょうなままじゃないか…! ………

いやいや、エモーショナルですね。情感豊かに語れる話し上手、プレゼン上手な人ほどこういう授業をやりがちです。具体的なストーリーをなぞった分、お子さんの心に、このお話は頭の中に強く印象づけられます。
でも、次の授業では全く別の作品を読むんですよ。そのときに、さっきの「洪作くん」がどのように役立つのか。教える人間は考えていなければならないのに、(おそらく)考えている人は少ないでしょうね。だから、力がつかない。成績が上がらないのです。

2 予定調和的な指導

進学塾での読解指導の場合、ふつうは「設問」がついています。
多くの場合、お子さんは「初見」の文章を「黙読」し、その直後に自力で「問題を解く」のです。よって塾の国語の先生は、文章を読んで内容を解説してハイおしまい、というわけにはいきません。設問に触れなければならないわけですね。それは言い換えると「解答までのプロセスを論理的に明らかにする」ということです。
解答の根拠は当然のことながら文章中にありますから、先生はこう語るわけです。
「はい、○行目の~~に注目しよう」 これじたい、何の問題もありません。ところが、
「というわけで、~~を見れば、問三の答えはエ、となりますね。」 という流れで終わってしまうとなると、ここに疑問を抱かざるを得ません。
たしかに、文章中の~~の部分を見れば、問三の答えがエだということは、よくわかる。一点の曇りもありません。生徒も全員納得しているとしましょうか。
それでも、このような解説パターンでは、残念ながら実力はつきません。なぜか? それは、「なぜ~~の部分に着目できるのか」が、明らかにされていないからです。
いわゆる「お勉強」に限らず、およそ「何かを習得する」という行為は、「だれかに教わって『わかった』ことが、自力で『できる』ようになる」ことを意味します。文章読解であれば先生に「このように読むんだよ」と教えられたことが、やがてはお子さんが自力で実践できるようにならなければならないはずなんです。
先の例であれば、「問三の解答の根拠である~~の部分になぜ着目できたのか」ということを明らかにすることこそが大切なのです。
ところが、現実には「答えの理由が納得できるレベル」に留まった指導は大変に幅をきかせてしまっています。問題集の解説にも、この手のものが多いことは、何冊か手にとって確かめてみればすぐに分かります。
「なぜ~~に着目できるのか?」 お子さんがすでに塾通いをしているのであれば、こういった質問をぜひ講師にぶつけさせてみてください。

「ここは筆者の意見が書かれたところだからだよ。」
「主人公の心情変化が表現されている部分だからだよ。」
「逆接の接続詞『ところが』の後で強調されているんだね。」
「具体例の手前で、要点が示されているところだよ。」
「話題として問いかけられたことの答えになっているからだよね。」

などなど、即答してくれるようであればいいのですが、もし、言葉につまってしまうようだとお子さんが言っていたら、「この先生の指導は答え合わせのレベル」と判断して間違いないでしょう。その先生を変えることができないのであれば、成績アップは自助努力でなんとかするしかなさそうです。

3 感覚的な解説

読解の設問は、形式として次のように大別されます。

natukawa_2

かつて、記述問題が一部の難関校の出題に限られていた頃は、「書くのが苦手」というお子さんがたくさんいました。「記号と書き抜き以外は空欄のまま」という答案も少なくありませんでしたが、最近では、いわゆる「記述アレルギー」のようなお子さんはあまり目立たなくなりました。
早い時期からの記述指導によって、書くことに対する抵抗感があまりないお子さんが増えてきたのかも知れません(むろん、ただ書けばいいというものでもありませんが)。
一方、「選択肢が苦手」という声はいまだに大変多くきかれるものです。
「二つまではしぼれるんだけど…」 「そもそも、答えの出し方がわからない…」
私がみる限り、このような悩みを自覚的に抱いているお子さんは、まだマシなほうです。
記述とは違い「よくわからなくても答えを書くことはできる」ために、「なんとなく」アとかイとか書いてしまう。答え合わせをしたときも、正解を確認しただけで満足し、自分が選んだ答えがなぜ違っていたのかを深く考えようとはしない。ただ解いては合っていたり間違っていたりの繰り返し……。
これでは一向に力はつきません。
なぜこのようなことになってしまうのでしょうか。
それは、そもそも選択式問題の本質や解き方を正しく教わっていないからなのです。否、「教わることができない」と言ったほうがよいかも知れません。
すこし詳しく説明しましょう。
選択式問題は原則として「最も適切なもの」を答えることを求めます。正誤問題や、語句を補充する知識問題を除けば、「いちばんマシな意味を選択する」ということなのです。
まず、このことを正しく認識していなければならないわけですが、これは教えてあげなければなかなか理解してもらえません。「言葉が合っているかどうか」で選ばれてしまいます。
するとどうなるか。次のようなことが考えられます。

・ 文章中で目に留まった語句がもっともらしく並べられた選択肢を「合っている」と思ってしまう。
・ 最後まで読まない。「合っている」と思われる選択肢が確認された時点でその先を確かめるのを
中断してしまう。
・ 修辞の優れた選択肢に自分の考えを合わせてしまう。

「いくらなんでも『最後まで読まない』ってことはないだろう」と思われるかも知れませんが、実際にそのような取り組み方をするお子さんを数え切れないほど見てきました。「まちがっているものを選べ」という条件に気づけないのも、このタイプのお子さんです。最後まで読んだら、「あれ?」と思うんですね。
「合っているものを選ぶ」という認識をしている限りは、そのようになります。
教える側が「いちばん適切な意味を選ぶ」という本質をしっかりと理解させなければならないのです。
では、実際に指導する講師がどれほど分かっているのか? 残念ながら、たいへんアヤシイと云わざるを得ません。
「……は、文章に書かれていないから、ちがう。」

これは不適切な選択肢を「消去」するときの理由説明としてよく用いられるフレーズです。「書かれていない」=「意味が確認できない」ということであればよいのですが、そうでないとすれば問題です。先述した「言葉が合っているかどうか」で判断しているわけですから。
私の授業では、このフレーズは使わせません。「言葉ではなく意味で判断するのだよ」ということを繰り返し訴えています。
それでは、「意味が適切」と思われる選択肢が二つ残って迷った場合はどうでしょうか。
多くの受験生がこの迷いを何度も経験します。先ほども書いた通り「二つまではしぼれるんだけど…」という悩みです。
宿題であれテストであれ、「空欄を残したくない」という意識が働けば、どちらかの記号を書くでしょう。仮にアとエとで悩み、エを選択したとします。でも、なぜエなのか?と問われると困る。実はアもエもどっちもいいと思っているわけですからね。
さて、正解はアだったとします。当然のようにこう思うでしょう。 「そうか、答えはアか。でも、自分が選んだエもいいと思うんだけどなあ」なんでダメなんだろう…」
ここで授業がどう展開していくか。およそ次のように分けられるでしょう。

natukawa_3

もちろん、理想は「ⅠのA」ですよね。ただ、困ったことに現実の指導では「ⅡのC」が珍しくないようなのです。
全くもって情けない話ですが、講師が事前に「正解しか気にしていない」からなのでしょう。生徒がどう考え、どう悩み、どう間違えるのか。そういうことをしっかりとシュミレーションしていれば、つまり、子供になったつもりで一からまともに解いていれば、こんなことにはならないのですが…。

4 自由記述や要約の強制

「ただ書く」ことと、「正しく丁寧に書く」こととは全く別です。

文章の読み方と同様、慣れのなかで正しい方法を体得できる子もいれば、そうでない子もいる。数え切れぬほどの受験生(しかも、様々な塾で「優秀生」と称される子たち)をみてきた限りで申し上げれば、感覚的に正しく書ける生徒はほとんどいない。これはどんなに強調してもし過ぎることはないでしょうね。

・主語が不明確。
・助詞(てにをは)の用法が不適切。
・必要な修飾語(「~を」「~に」など)が明示されていない。
・読点の打ち方が不適切であるために、意味がおかしくなっている。
・文中の具体的な言葉が不用意に使われているために、第三者に通じにくい説明になっている。

このような記述解答を何百何千と目の当たりにしてきました。模試で御三家の判定が80パーセントとでるような「優秀生」の解答です。
ズバリ申し上げます。多くの受験生は、正しく客観的な記述解答をまともに書けません。
ある範囲に限定された設問に対して、でさえです。ましてや、文章全体の要約になったら、何をかいわんや、です。ところが、これまた困ったことに、指導力のない講師ほど、不必要に要約をやらせたがるのですね。かわいそうなのは生徒です。
実は、書かせる側にとっては(よほどの素人でなければ)たいへんラクなのです。講師自身が大学受験のときにでも習った要約テクニックとやらを記憶していればカンタンこの上ない。しかも、指示された子供たちは、それなりに悩みます。すぐには上手にまとめられない。でも、先生からの「合格」をもらわなければならない。ダメ出しされれば何度でも書き直さねばならない。この「マルがもらえるまでやり直し」というのは、権威主義的な人間にとって大変都合のよろしい指導形態なのですね。
ここに、正しく要約するための明確なアドバイスが介在すればまだいいのですが…かわいそうなのは生徒です。なんとなく知的で本格的なことをしているような気分で、このような「作業」をやらされているのだとしたら、お子さんがかわいそうでなりません。

5 意味のない抽象論

natukawa_4国語講師の指導スタイルはたいてい右のように分類できます。

私はBタイプです。たぶん少数派であると思っています。

同様に、Aタイプも少数派でしょうね。数多くの入試問題と生徒の答案のストックをもとにした豊富な指導経験に裏打ちされていなければ、できないことです。

一方、圧倒的に多いのはCタイプです。まさに「習うより慣れよ」。この指導法で実力がつけば別にかまわないのですが、そのようなケースを私はほとんど見聞きしていません。
さて、ここで取り上げたいのはDタイプです。「なんとかしてポイントを提示したい!」という人です。私もそう思い続けて現在に至っているので、心情的には味方です。
ただ、そのポイントとやらの示し方が問題なんですね。
このタイプの先生は、とにかく「型」にはめたがります。以下、いくつかの事例を、私の「つっこみ」もまじえながら紹介してみましょう。

「筆者の意見を論理的につかもう」 はいはい、で、どうやって?
「最終段落で意見がまとめられる!」 そんなキマリ、どこにもないですよ! だいたい、問題文が最後まで載ってないかもしれないのに!
「形式段落のはじめに『ところで』や
『さて』があったら意味段落の切れ目だ!」
参考書的にはたしかに「話題転換」の接続語ですが、切れない場合はいくらでもあります。
「指示内容は手前をよく確かめよう」 でた、誰でも言えるあいまいなアドバイス。それに、指示内容が後ろに示される場合だってあります。
「人物の気持ちは『動作・表情・言葉』
から判断すべし。」
よく説明される基本的な事がらですけど、「顔で笑って心で泣いて」なんていう場合はどうするんでしょう?

いずれも私が目の当たりにした「実際の授業での指導言」です。しかも、こんなことを実際の効果がどうであるかを検討することなく板書してノートに写させるんです。
どう思われますか?

さあ、本当の国語力を身につけましょう♪

長々と述べてきましたが、ここまでお読みくださった方であれば、「どうすればよいか」はもうお分かりでしょう。
まずは私にご相談ください。以下、夏川による国語指導で「お子様がどのように変わるか」を示します。

natukawa-05
指導実例
夏川 寛至先生の詳細は、ただいま制作中です。
pro_natsukawa_s

あきらめない先にあったもの

今日は、生徒さんのエピソードについて語っていただきます。
今回私がお話を伺ったのは、長年にわたって早稲アカのNN開成のクラスを担当、西日暮里校を初めとする校舎長を歴任された、当塾のスーパードクター講師、国語担当の夏川 寛至先生です。

早稲アカ時代はどんな先生でしたか?

春野「夏川先生は長年早稲アカで教えていらっしゃったんですよね。
早稲アカ時代はどんな先生だったのでしょうか?」

夏川「実はですね。意外に思われるかもしれませんが…とても厳しい講師でした。」

春野「ええっ?!(本気で驚く)。夏川先生が、ですか?」

夏川「ええ。ご存じのように早稲アカは体育会系のノリの集団塾です。授業中はたとえ授業と関係のあるものであっても、講師の許可を得
てからでないと生徒は発言させてもらえないんです。勝手に思いついたことを口にすることは許されない。」

春野「規律を重んじる、硬派な塾なのですね。」

夏川「硬派。まさしく、です。私は担当したクラスでは最初に生徒にきちんと話をしていました。どれだけ間違ってもいい!間違いは一生懸命やった結果だ。間違いからしっかり学ぶことができるんだ。でも、さぼったり、勝手なことをして周囲に迷惑をかけるのは許さん!と。」

春野「初めにガツンと。」

夏川「はい。ガツンと。生徒の身になる指導のためなら、一切の妥協なし!の姿勢を貫きました(微笑)。」

印象深いエピソードをお願いいたします!

春野「今の温厚な夏川先生からは想像もつかないのですが。やはり集団授業と個別とでは指導方法も異なりますか?」

夏川「そうですね、規律を重視しなくとも、(個別の場合)自然と身近でコンタクトできますので、指導内容がダイレクトに伝えられますし、その意味では(個別は)とてもやりやすいですね。」

春野「本来の穏やかなお人柄でいられる、と(笑)。」

夏川「そうですね(微笑)。厳しさは封印できますね。」

春野「厳しい夏川先生も見てみたい気もいたしますが(笑)。そんな早稲アカ時代の印象深いお話などございますか?」

夏川「あります。枚挙にいとまがない、とまでは申しませんが、生徒さんを通して多くの貴重な体験はさせていただきましたね。一番強い印象に残っているのはやっぱり彼かなあ。彼、A君は開成志望の生徒さんで、でも実はNN開成クラスの入室試験に4回連続で落っこちてたんです。NN開成の入室テストは開成の類似問題になっていますから、普通、落ち込みます。自分は開成向きではないのでは?と。」

春野「そのA君、よくあきらめませんでしたね。」

夏川「そうなんです。で、ラストチャンスの5回目でようやく基準点に達してNN開成クラスに編入してきた。10月下旬、わずか3か月の在籍でした。私ねえ、そのA君が初めてNN受講する日のこと、昨日のことのように覚えているんですよ。」

春野「と言いますと?」

夏川「授業前に私のところにわざわざ挨拶にきてくれたんです。くりくりした目の小柄な子だったんですが、まっすぐ私を見て『ぼくは今までずっとこのクラスを落ち続けた。この中にいるだれよりも短い間しかここで学べません。でもその分、だれよりも教わったことを完璧に頭に入れます。』って。力強く宣言してきた。ぞくっとしましたね。この子、本気だ!って。目力(めぢから)って言うんでしょうか、まさしくそれを感じました。」

あきらめない心の強さ

春野「すごいですね。で、それを実行した、と。」

夏川「すごかったです。授業中の集中度合いが。こちらがちょっとした冗談を言うと、真面目な顔でそれまでメモしている、そんな勢いでした。一種の凄味があった。その凄味を抱えたまま、結果を残した。」

春野「合格したんですね!」

夏川「ええ、開成、そして筑駒と。だれも彼には期待していなかった。がんばっているけど、かわいそうに、望みは薄いだろうな、と。」

春野「でも、夏川先生は予感してたのでは?」

夏川「どうでしょう(微笑)。でも、合格を聞いたとき、どこかでやっぱり、という思いはあったような気もします。」

努力できる才能はだれでもある

春野「A君は開成に進学したのではないですか。」

夏川「よくわかりましたね。筑駒に行かず、開成を選びました。当初の思いそのままに。私はA君が特別優れた生徒だったとは思っていません。特別優れていれば、もともと一生懸命やる子だったんです、もっと早くにNNクラスにも来られたでしょう。でも、彼には努力しつづける才能があった。そして、その才能は実はどの子もみんな持っているんだと思うんです。」

春野「うちの子、努力しないんです!という親御様のお悩みはよく聞きますが…」

夏川「そうですね。やはりどうしても何かを欲する、その熱、そういったものに浮かされたとき、人は努力できるのでしょう。であるならば、自分が本当に欲していることは何か、自分はどうしたいのか、そういった中学受験をする目的、意義、そういった根本を親子で見直してみることも必要でしょうね。未来に夢をもつ力。先に待っていることにわくわくする思いを抱かせる、そんな仕掛け、環境づくりをこちらも用意していきたいと日々思っています。」

春野「今日は胸が熱くなるお話をありがとうございました!」

※2013年7月8日メルマガより

お問い合わせ

無料相談受付中 0120-955-568 無料体験 0120-955-568 資料請求