指導法【国語】
受験国語の正解は一つです

国語の問題には答えがいくつもあるというのは大きな誤解です。少なくとも受験国語には正解は一つしかありません。わが子の答えではどうしてダメなのかという疑問が生じるような問題は望ましくないからです。

受験国語では正解が一つになるように作問します

問題作成者(以下、作問者とします。)一つの正解に到達しやすい部分で問題を作ります。さらに唯一の正解へと到達できるように、傍線部を設定し、設問を作ります。

唯一の正解へと導いてくれるのは論理です。

物語や詩歌であっても、唯一の正解へと導くのは論理です。論理的に唯一の正解へと到達できるように問題は作られているのです。

設問と傍線部は正解へのガイドラインです

一つの正解へと導くために作られている設問や傍線部の構造は、正解へと到達するためのガイドラインとして利用することができます。論理は設問と傍線部で具体化されているのです。

文章の内容は4割もわかれば十分です

得点力があり、偏差値が安定している生徒は、文章の読み込みポイントを心得ています。文章の中身を100%理解して答えているのではありません。

どこを読み込めば正解が出せるかを設問と傍線部が教えてくれます

設問と傍線部の構造が、詳しく読むべきポイントを示してくれます。文章全体を詳しく読む必要はありません。詳しく読む時間もありません。

読解と読書は全く違います

読書は時間をかけられます。読書は自分の好きな本しか読みません。好きな本を自分の感覚で自由に読むから楽しいのです。読書は受験国語の力には必ずしも直結しません。

受験国語の大敵は自由な想像力です

論理的に唯一の正解へと到達するのが受験国語ですから、自由に読んではいけません。自分の感覚で読んではいけません。読書好きで学校の国語は得意なのに、偏差値が伸びないのはそのせいです。

設問と傍線部の構造が想像力を限定してくれます

設問と傍線部の構造が想像力をしばってくれます。自分勝手な読み方を制限してくれます。設問や傍線部はそのための装置です。

設問をうまく利用できれば、偏差値は5ポイント上がります

国語ができない受験生は設問が与えてくれるガイドラインを利用していないのです。

傍線部をうまく利用できれば、偏差値は5ポイント上がります

傍線部とその近くの文章構造が正解に到達するには重要です。

設問と傍線部を利用できれば、偏差値は10ポイント上がります

設問と傍線部の構造を利用する力が得点力を左右します。

設問・読解を利用する達人になろう

論理的な読解の訓練をしていくと、次第にどこが重要なのかが意識できるようになります。「ここが正解へのガイドラインだな」とわかって、読みながら正解がわかってくる受験国語の達人になれます。個別指導の受験ドクターならそれが可能です。

ここからは論理的文章と文学的文章(物語)の読解を進めていきながら、どのように基本原則が使われるかをみていきます。著作権の都合もあり、文章は二つとも筆者の自作です。問題も全て作りました。まず「読解の心構え」と「文章の全体構造の把握のための注意」を読んでいただき、それから本文の読みへと進んでください。

読解の心構え(読解の大前提)

① まず本文を通して読みましょう。詳しく読む必要はありません。どこに何が書いてあったかが把握できれば十分です。詳しく読むのは設問からです。設問と傍線部を詳しく読んでから、必要な部分だけ詳しく読みましょう。
② わからない部分があっても先に進みましょう。読書と読解は違います。読書では意味がわからない部分は詳しく読んで、十分に理解してから先へと進みますが、読解ではわからない部分があっても先に進みます。わからない部分の内容を、わかりやすく説明してくれる部分が先にあるはずです。
③ 詳しく読むのは設問からです。次に傍線部を読み込みます。設問の条件や要求と傍線部の前後の文脈(傍線部の部分構造)を照合していくと、その中に唯一の正解へと到達するプロセスが見えてきます。(それが見えてくるように訓練するのが受験Dr.です。)

文章の全体構造の把握のための注意

①「問いと答えの仕組みに注意する」
②「各段落の中心文に注意する」
③「言い換えた表現を追いかける」
④「定義的文に注意する」
⑤「対照・対立の構造に注意する」=「用語法を整理している部分に注意する」

①論理的文章の構造は、冒頭部分での問題提起=問いかけの文とそれに対応する答え=結論部分という大構造になっている事を意識してください。この大構造を把握すると、筆者の中心的主張から外れる危険性が低下します。
②読み進めるときには各段落を代表する一文を意識します。これを追いかけると全体の仕組みが見えてきます。
→①と②で文章全体を把握する枠組みが作ります。

③言い換えた表現に注意しましょう。たとえば、論理的文章では一つのテーマを様々な角度から考察していきます。そのときに筆者は同じ事柄について、様々に視点を変えながら、様々な表現の仕方で言い換えて、説明を深めていきます。同じ事柄の言い換えを追いかけると、筆者の論理の展開を追いかけていく事ができます。作問者も必ず言い換えを利用して問題を作りますから、言い換えの把握は設問に対応する場合にも有効に利用できます。
④定義的文とは、その文章の中で重要な語句(概念)の意味を簡潔に説明している文です。重要な語句(概念)は必ずどこかで明快に定義されます。出題部分では難解な表現であっても、わかりやすく説明している部分があるのです。これも言い換えの追っかけの一種です。
難しく考えず、同じ語句や似た表現がある場所を探すだけでも、答えへの手がかりは見つかります。どこにどんなキーワードがあったか、全体を読み進めるときに注意しておきましょう。
→③と④は問題を解く場合に利用できる目印探しです。

⑤は少し上級編の注意です。論理的文章では対立する2つの立場を比較・検討しながら展開するスタイルが多いはずです。この構造の把握に注意しましょう。また、対立的な概念や語句をわかりやすく整理する段落があるはずなので注意しましょう。相違点や対立点を出題する問題が必ずあるはずです。

指導実例【国語】

文章を通して読んでみましょう。

論理的文章の読解

以下の文章を読んで、各設問に答えなさい。

哲学とはどのような学問でしょうか。

「人生哲学」という言葉を聞いた事があるでしょう。人生の達人が自分の生き方の極意を語るものです。なんかツマラナイお説教を聞かされそうです。哲学はそんなものではありません。あるいは、一般に哲学というと、人間や世界や宇宙についての真理(本当の姿)を語るものと思われています。そうすると哲学者という人は、①神様みたいな存在という事になります。

「神は死んだ。」
ドイツの近代哲学者ニーチェの言葉です。神の存在を否定しているのですが、同時に人間が神のような絶対的存在である事も否定しています。人間は有限な存在です。宇宙全体を眺める事はできません。時間と空間を超えた視点に立つ事は不可能です。
「無知の知」
古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉です。自分が賢い人間であるとすれば、それは自分が何も知らないという事を知っている点だという意味の言葉です。ソクラテスは哲学者の起源と言われています。ソクラテス以前の『哲学者』たちは、博学や弁論の巧みさを誇っていました。宇宙の真理を語り、自分の説を相手に受け入れさせるために、巧みな弁舌で論破しようとする存在でした。そうした『哲学者』たちに対して、ソクラテスは「無知の知」という言葉を使ったのです。その点でソクラテスは、②それ以前の『哲学者』よりも優れた哲学者であると言えるのですが、もう、みなさんはその理由はわかりますよね?ソクラテスにとっては「宇宙の真理を語れない」という事が真理だったのです。
ソクラテスは哲学的に思考する際に「対話」を重視した事でも知られています。自分の弟子たちと語り合う事で、ソクラテスは自分の思考を深めました。ここにも「無知の知」は生きています。どんなに優れた人物でも自分の頭だけで思考するのは限界があります。自分よりも若くて、知識も少ない相手と話していて、自分とは全く異なる視点からの意見に教えられるという事はよくあります。対話は自分の思考を深めるために有効な方法です。ソクラテスは③その効用もよくわかっていたのです。
「われ思うゆえにわれ在り。」
ヨーロッパの近代哲学を基礎づけたデカルトの言葉です。ソクラテスが哲学のはじまりの人物だとすれば、デカルトは近代哲学のはじまりの人物です。また、デカルトは近代的人間像を描きだした人でもあります。デカルトは宇宙や人間について語る以前に、宇宙や人間について考える人間の意識について考えました。デカルトは方法的懐疑という方法をとりました。人間の思考の全ては誤っているかも知れないと考えてみるのです。
たとえば、自分が生きている世界はとてもリアルに感じます。つまり、目に見え、音も聞こえ、においも感じられる世界です。しかし、④それは夢かも知れません。急に目が覚めて、今までの全てが夢だったと気づくかも知れません。実在すると思っている全ての存在は実在しないかも知れません。しかし、デカルトはこう考えます。全ては実在しないかも知れないと疑ってみる思考自体を疑う事はできない。思考自体は実在する。だから、⑤考えるという行為によって人間は存在する
デカルトは人間という存在を「考える自分という意識」に基礎づけました。これによってデカルトは近代的な人間を基礎づけました。近代的な人間とは、自分の頭で考え、自分の責任と判断で行動する主体的人間であり、自立した自由な個人です。
「デカルトへの批判」
現代の哲学はデカルトの先を歩んでいます。
デカルトは人間を意識に基礎づけ、意識的で主体的な存在だとしましたが、意識は自分で主体的に獲得したものではありません。あなたは自分がいつ意識を獲得したか覚えていないはずです。気づいたら意識があって、自分は自分になっていたはずです。つまり意識は主体的に自分で築き上げたものではないです。
それでは意識はどのようにして獲得されるのでしょう。
自分が考えたり、感じたりするときの様子を思い浮かべてみてください。あなたは頭の中でしゃべっていませんか。意識は言葉の働きによって成り立っているのです。言葉があるから人間は考えたり、感じたりする事ができるのです。今のあなたは言葉で考えたり、感じたりする事で、今のあなたになったのです。言葉がなかったら今のあなたにはなっていません。言葉があなたという意識を形成したのです。
それではあなたが言葉を覚えたのはいつですか?
覚えていないはずです。言葉もまた、いつの間にかしゃべれるようになっていたはずです。言葉も主体的に学んだものではないのです。現代の哲学は人間の主体性を疑います。主体的に学んだものではない言葉によって築かれる人間が、どうして主体的な存在だと言えるでしょう。こう言うと、人間はダメな存在だという事がわかってきたように聞こえるかも知れません。⑦自立した主体的個人と言うと、とてもよいものに聞こえるからです。しかし、こう考えてみてください。人間の思考の出発点は「自分」だと言う事は、人間は根本において自分中心で物事を考える存在だと言う事になります。人間の本質は自己中心主義と言うと、今度は逆にとてもよくないものに聞こえますよね。
言葉が人間を築き上げていると言う事は、人間が言葉によるコミュニケーションで築かれる存在だと言う事です。他者との言葉のやりとりが自分を造るのです。そうなると、人間の出発点は自分ではなくて、人間と人間との関係です。
近代哲学は人間の存在と思考の基礎づけを試みました。現代の哲学はその基礎づけを問い直し、人間の存在と思考を可能にしているものが言葉であると明らかにしました。言葉は人間が心の中で考えた事や思った事を表現する単なる道具ではありません。言葉があるから人間は考えたり、思ったりする事ができます。
哲学は基礎づけの学問です。通常は当然の前提として問われる事がない条件を問題化する学問です。ソクラテスも、デカルトも、当たり前を問い直し、基礎づけようとしました。同時代の人々が自明の事として問われない事を問題化したところに、この二人の哲学者の偉大さはあるのです。(以上、問題文)

問1下線部①「神様みたいな存在」とはどのような存在の事ですか。「存在」という言葉につながるように、15字以内で書きぬきなさい。

問2下線部②ソクラテスが「それ以前の『哲学者』よりも優れた哲学者と言える」のはなぜですか。その理由として最も適切なものを選びなさい。

  1. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの寡黙さに比べると、弁舌の巧みさで相手をあざむく事を誇るような存在だったから。
  2. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの学識に比べると、科学的な知識の量も質も劣っている事を自覚していなかったから。
  3. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの謙虚さに比べると、自分が宇宙の本当の姿をとらえていると信じていたから。
  4. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの方法に比べると、対話を重視せず思考を十分に深める事ができなかったから。

問3下線部③「その効用」とはどのような効用ですか。30字以内で答えなさい。

問4下線部④「それは夢かも知れません」の「それ」の内容を答えなさい。

問5下線部⑤「考えるという行為によって人間は存在する」と言えるのはなぜですか。60字以内で答えなさい。

問6下線部⑥「現代哲学はデカルトの先を歩んでいます」とありますが、デカルトの考え方と現代哲学の考え方の違いはどのような点にありますか?80字以内で答えなさい。

問7下線部⑦「自立した個人」とはどのような人間ですか?30字以内で書きぬきなさい。

問8この文章で筆者が言いたかった事は何ですか?その内容として最も適切なものを選びなさい。

  1. 哲学とは、綿密な思考と対話により、自己理解を深める学問であり、ソクラテスやデカルトは同じ時代に生きた誰よりも自己を冷静に分析した偉大な人物である。
  2. 哲学とは、対話や方法的懐疑によって、同時代の知識を超越する学問であり、ソクラテスやデカルトは卓越した学識によって時代を超越した偉大な人物である。
  3. 哲学とは、綿密な思考と反省により、自明の前提を再考する学問であり、ソクラテスやデカルトは人間の思考の条件を問題化した偉大な人物である。
  4. 哲学とは、客観的な知識と思考により、科学的知見を深める学問であり、ソクラテスやデカルトは同じ時代に生きた人々の誤謬を超克した偉大な人物である。

これらの問題に対応するには、先述した全体構造の把握に加えて、以下のポイントに注意する必要があります。

部分構造の把握

設問・傍線部の精読時の注意

①「傍線部・空欄の前後の文脈をチェックする」
②「指示語・接続語は重要な手がかりである」
③「傍線部・空欄の前後の語句・表現は重要な手がかりである」
④「設問の語句・表現も重要な手がかりである」

①傍線部および空欄の前後の文脈に、正解に直結する手がかりがある問題は非常に多いものです。どのように難しい問題も、その問題に対応する第一歩は、設問の中や傍線部の近くに存在します。
②特に傍線部近くの指示語や接続語は、正解の根拠を直接的に示すので絶対に無視してはいけません。
③傍線部やその前後の語句・表現と同じ語句・表現に注意することもきわめて重要です。
④言い換えた表現まで追いかけることができれば、さらによいでしょう。

正解の根拠は傍線部・空欄の近くから考える事が基本ですし、理由なく離れるのは厳禁ですが、先ほども言ったように、同じ語句・表現、言い換えた表現がある部分を探す事は重要です。傍線部・空欄近くの手がかりが、そこから離れた部分に存在する根拠へのガイドラインとして機能します。また、同様に設問の語句や表現、および言い換えた表現がある部分を探す事も重要です。

さあ、ここからは解説です。

問1

下線部①「神様みたいな存在」とはどのような存在の事ですか。「存在」という言葉につながるように、15字以内で書きぬきなさい。

考え方

「傍線部を含む一文が指示語ではじまる」点に注意します。
「同じ語句=傍線部や設問のキーワード」をたどります。
① 「そうすると哲学者という人は・・・」とあるので、指示語に従って直前の内容を読みます。「人間や世界や宇宙についての真理(本当の姿)を語る」のが哲学者だと「一般に」思われていると述べられています。
② 指示語にしたがって「人間や世界や宇宙についての真理(本当の姿)を語る」存在としたいところですが、字数が合いません。
③ 「神」という存在について説明している部分を探しましょう。「神」と「存在」というキーワードが次の段落に出てきます。ここで「人間や世界や宇宙についての真理(本当の姿)を語る」という内容の言い換えを探してみましょう。
④ 「宇宙全体を眺める」存在でもよさそうですが8字では少ない気がします。次の一文でさらに言い換えられています。「時間と空間を超えた視点に立つ」存在ならば14字ですからピッタリです。

正解「時間と空間を超えた視点に立つ」存在

問2

下線部②ソクラテスが「それ以前の『哲学者』よりも優れた哲学者と言える」のはなぜですか。その理由として最も適切なものを選びなさい。

  1. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの寡黙さに比べると、弁舌の巧みさで相手をあざむく事を誇るような存在だったから。
  2. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの学識に比べると、科学的な知識の量も質も劣っている事を自覚していなかったから。
  3. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの謙虚さに比べると、自分が宇宙の本当の姿をとらえていると信じていたから。
  4. ソクラテス以前の『哲学者』は、ソクラテスの方法に比べると、対話を重視せず思考を十分に深める事ができなかったから。
考え方

傍線部を含む段落を丁寧に読む事が基本です。
ソクラテスが優れている点はどこでしょう。それは「自分が何も知らないという事を知っている点」=「無知の知」です。それに対して、ソクラテス以前の『哲学者』たちは、「博学や弁論の巧みさを誇って」「宇宙の真理を語り、自分の説を相手に受け入れさせるために、巧みな弁舌で論破しようとする存在」でした。また、傍線部の後の文をみましょう。「ソクラテスにとっては「宇宙の真理を語れない」という事が真理だった」とあります。以上が正解の根拠です。
次に選択肢をチェックして、二者択一に限定してみましょう。

イ ソクラテス以前の『哲学者』は「科学的な知識の量も質も劣っている事を自覚していなかった」とあります。ソクラテスが優れている点は「自分が何も知らないという事を知っている点」=「無知の知」です。「科学的な知識の量や質」が基準ではありませんから、イは消去されます。
エ ソクラテスが「対話」を重視した事は本文に書かれています。しかし、ソクラテス以前の『哲学者』たちが「対話」を重視しなかったとは書かれていませんし、この文脈には無関係です。したがってエは消去されます。

アとウの二者択一になりました。
ア ソクラテス以前の『哲学者』は「弁舌の巧みさで相手をあざむく事を誇るような存在」とありますが、「弁舌の巧みさ」は合っていますが、「あざむく」が問題です。「論破しようとうする」事と「あざむく=だます」事は違いますから、アは消去されます。
ウ ソクラテスが優れている点は「自分が何も知らないという事を知っている点」=「無知の知」です。これを「ソクラテスの謙虚さ」と考える事は可能です。ソクラテス以前の『哲学者』たちは、「自分が宇宙の本当の姿をとらえていると信じていた」という部分も合っています。ソクラテスにとって「宇宙の真理は語れない」のですから。

正解はウです。

問3

下線部③「その効用」とはどのような効用ですか。30字以内で答えなさい。

考え方

「指示語の内容は基本的に直前から探し始める事。」
「答えを考えるときは、指示語の部分にあてはめてみて、成立するように考える事。」
「答えの終わり方を考えて、並べ替えの感覚で答えを作ってみる事。」

① 直前の一文の「対話は自分の思考を深めるために有効な方法」が答えに使えそうです。
② 次に設問の要求を見ると「どのような効用」とありますから、答えの終わりは「効用」です。
③ 何の効用かと言えば「対話」の効用ですから、答えの終わりは「対話の効用」となります。
④ 並べ替えて答えを作ってみましょう。

正解は「自分の思考を深めるために有効な方法である対話の効用。」です。

問4

下線部④「それは夢かも知れません」の「それ」の内容を答えなさい。

考え方

これも指示語の問題ですが、接続語をガイドラインとする問題でもあります。
① 直前の一文は「目に見え、音も聞こえ、においも感じられる世界です」が、この一文の最初は「つまり」=換言の接続語ですから、直前の一文に言いかえである、もう一つ前の文も答えの候補になります。
② もう一つ前の「自分が生きている世界はとてもリアルに感じます」という一文には、「夢」という語句と対照的な「リアル」=「現実」という語句がありますから、こちらの方が答えの材料として適切です。
③ 「それ」の部分にあてはめても成立するように答えを考えます。

正解「自分が生きているとリアルに感じられる世界。」

字数制限はないので「とても」という修飾語は残しても構いません。また「目に見え、音も聞こえ、においも感じられる」という部分も使っても構いません。ただし、答えの軸は「リアル」という語句が含まれる一文です。「夢」と対になる「リアル」も外せません。

問5

下線部⑤「考えるという行為によって人間は存在する」と言えるのはなぜですか。60字以内で答えなさい。

考え方

「傍線部がある一文の傍線部以外のところに接続語や指示語があって、それが答えへのガイドラインになっている」
この問題のポイントは傍線部を含む一文の冒頭の「だから」です。「だから」という接続語は、直前に理由があり、直後にその結果がくるものです。したがって「考えるという行為によって人間が存在する」理由は、直前部分にあるとわかります。
さて、答えの外せない軸ができました。「思考自体は実在するから」です。次に「思考自体が実在する」と言えるために必要な要素をプラスしましょう。
「実在すると思っている全ての存在は実在しないかもしれないが、全ては実在しないかもしれないと疑ってみる思考自体は疑う事ができないので、思考自体は実在すると言えるから。」82字
これを60字以内に収めます。重複部分を削りましょう。「疑う事ができない」という表現も短くできそうです。
「実在すると思っている全ての存在は実在しないかもしれないが、実在しないかもしれないと疑ってみる思考自体は疑えないので実在すると言えるから。」68字
これでも8字オーバーです。「実在すると思っている」と「実在しないかもしれない」の部分が、同じような事を繰り返し述べているので短くできないか試してみましょう。

正解例「実在すると思っている全ての存在は実在しないかもしれないが、実在を疑ってみる思考自体は疑えないので実在すると言えるから。」59字

問6

下線部⑥「現代哲学はデカルトの先を歩んでいます」とありますが、デカルトの考え方と現代哲学の考え方の違いはどのような点にありますか?80字以内で答えなさい。

考え方

傍線部を含む段落では答えに使えそうな材料がありません。傍線部の近くをなるべく離れないで考える事は基本ですが、答えが見つからないようなら、同じような語句が出てくる別の部分を探しましょう。傍線部を離れる場合に大切な事は、同じ語句や言い換えた表現がある部分を探す事です。何を探すのか、どこを探すのか、そうした意図を持たずに文章全体を探し歩くのは時間の無駄です。この問題では先述した「定義文」に気をつける問題でもあります。設問で「デカルトの考え方と現代哲学の考え方の違い」を問われているのですから、その違いを簡潔にまとめている部分を探します。
この問題ではそれは以下の部分です。

近代哲学は人間の存在と思考の基礎づけを試みました。現代の哲学はその基礎づけを問い直し、人間の存在と思考を可能にしているものが言葉であると明らかにしました。

ここには「近代哲学」という語句もあります。「デカルトは近代哲学のはじまりの人」でしたから、この部分で「近代哲学=デカルト」と「現代の哲学」の違いを説明してくれています。

答えを作ってみましょう。
「デカルトは人間の存在と思考を基礎づけたが、現代哲学はその基礎づけを問い直し、人間の存在と思考を可能にしているものが言葉であると明らかにした点。」71字
まだ字数に余裕があります。それに現代哲学が人間の存在と思考を可能にしているものが「言葉」であると明らかにしたと述べているのに対して、この部分ではデカルトが人間の存在と思考を何に基礎づけたのかが不明です。
本文の傍線部⑤の直後に「デカルトは人間という存在を考える自分という意識に基礎づけました」という一文があります。ここから「考える自分という意識」を借りてきて、先ほどの答えに代入してみましょう。
「デカルトは人間の存在と思考を考える自分という意識に基礎づけたが、現代哲学はその基礎づけを問い直し、人間の存在と思考を可能にしているものが言葉であると明らかにした点。」82字
今度は1字オーバーしました。多くの受験生が試みる安直なやり方は「、」を削るという方法ですが、あまりお奨めできません。この答えではそれほど大きな影響はありませんが、「、」は多くの受験生が考える以上に重要な意味を持つ場合があります。
ここでは「言葉」の位置を変更してみましょう。
「デカルトは人間の存在と思考を考える自分という意識に基礎づけたが、現代哲学はその基礎づけを問い直し、言葉が人間の存在と思考を可能にしていると明らかにした点。」77字
ばっちりですね。言葉の位置や順序を入れ替えてみたり、「○○される」という受身の表現を「○○する」という能動文に変更してみたり、「○○ではない」という否定表現を肯定表現に変更してみたりすると、答えの文が短くできる事が多いのです。

問7

下線部⑦「自立した個人」とはどのような人間ですか?30字以内で書きぬきなさい。

考え方

問6と同じ方法です。
「自立した個人」という語句は、デカルトについての説明部分で出てきました。
以下の部分です。

デカルトは人間という存在を「考える自分という意識」に基礎づけました。これによってデカルトは近代的な人間を基礎づけました。近代的な人間とは、自分の頭で考え、自分の責任と判断で行動する主体的人間であり、自立した自由な個人です。

「自立した自由な個人」=「自立した個人」というガイドラインがあります。次に設問の表現をヒントにします。「どのような人間ですか?」と質問されているので、答えの終わりは「人間」と考えると、答えが見えてきます。「主体的人間」を終わりにして字数を数えてみましょう。

正解「自分の頭で考え、自分の責任と判断で行動する主体的人間」26字

問8

この文章で筆者が言いたかった事は何ですか?その内容として最も適切なものを選びなさい。

  1. 哲学とは、綿密な思考と対話により、自己理解を深める学問であり、ソクラテスやデカルトは同じ時代に生きた誰よりも自己を冷静に分析した偉大な人物である。
  2. 哲学とは、対話や方法的懐疑によって、同時代の知識を超越する学問であり、ソクラテスやデカルトは卓越した学識によって時代を超越した偉大な人物である。
  3. 哲学とは、綿密な思考と反省により、自明の前提を再考する学問であり、ソクラテスやデカルトは人間の思考の条件を問題化した偉大な人物である。
  4. 哲学とは、客観的な知識と思考により、科学的知見を深める学問であり、ソクラテスやデカルトは同じ時代に生きた人々の誤謬を超克した偉大な人物である。

答え ウ

考え方

〈筆者の言いたかった事は「はじめとおわり」が大事〉
論理的文章では、文章の冒頭部分でこれからどのような話題に関して文章が展開するかが示されます。いわゆる問題提起であり、しばしば読者に問いかけるスタイルの文章になります。論理は冒頭の問いかけに対して、最終的な結論部分の答えという関係の中で展開されます。ですから、「筆者の言いたかった事」を把握するには、文章の「はじめとおわり」を読んでみるべきなのです。また、「筆者の言いたかった事」とは「筆者の伝えたかった事」とか「筆者の主張」とか、様々な言い方で出題されます。これは全て「要旨の問題」です。要旨を問われたら文章のはじめとおわりを読みましょう。

この文章の話題の中心は冒頭の問いかけにある通り「哲学とはどのような学問か?」です。そして冒頭では哲学は人生の極意や宇宙の真理について語るものではないと述べられています。ソクラテスは「哲学のはじまり」の人物です。ここの結論も「宇宙の真理は語れないというのが真理」です。
次に結論部分を読みましょう。

哲学は基礎づけの学問です。通常は当然の前提として問われる事がない条件を問題化する学問です。ソクラテスも、デカルトも、当たり前を問い直し、基礎づけようとしました。同時代の人々が自明の事として問われない事を問題化したところに、この二人の哲学者の偉大さはあるのです。

冒頭の問いかけに対する答えの文があります。「哲学はどのような学問か?」⇔「哲学は基礎づけの学問」という関係です。哲学は「通常は当然の前提として問われる事がない条件を問題化する学問」であり、それを「基礎づけ」と言っているとわかります。また「当然の前提として問われる事がない条件」が「自明の事として問われない事」と言い換えられている点にも注意しましょう。答えはウしかありませんね。難解な語句が多用されていますが、わかる言葉だけで答えが出せました。

引き続き文学的文章(物語)に進みましょう。物語の読解でも先述した基本ルールのほとんどがあてはまります。物語であっても、受験国語の読解では論理的に答えを決めていくものであり、論理的文章の読解ルールで答えを考える事ができます。以下のポイントのみ補足しておきます。

物語の読解の場合の補足

①「直前の言われた事・された事」「直後の言った事・した事」に気をつける。
「文脈によって言葉の意味は変わります。」友達にヒドイ言葉を言われた場合でも、けんかをしているとき、仲良くふざけ合っているときでは受け止め方が違います。「馬鹿!」というセリフは親密さの表現にもなります。文脈に注意するとはそういう事です。心理を質問する問題(特に選択問題)は、前後の「言われた事・された事・言った事・した事」を根拠に考えるのが基本です。そこからどんな気持ちなのかを考えましょう。自分の気持ちや感想(主観)に引っ張られないように気をつけましょう。
②行間を読もうとしたり、隠された心情や意図を読み取ろうとしたりしない。
物語は自分の感想や気持ち(主観)に引っ張られやすくなります。想像力を遊ばせてしまいがちです。書いてある事柄だけで考える、書いてある事から想像力を働かせるという意識を大切にしましょう。
③全体構造の把握では、「場面の転換」と「大きな気持ちの変化」に気をつける。
場面の変化は「場所・時間・人物の入れ替わり」がポイントです。今回の文章は短すぎて関係ないのですが、もっと長い文章では、最初の方の気持ちと最後の方の気持ちが大きく変化していないかに気をつけましょう。「最初の気持ち・最後の気持ち」そして「気持ちが大きく変化した部分」に気をつけましょう。上位校の問題では「全体を通じた気持ちの大きな変化」を説明する問題が出ます。最初の通読時から気をつけておきたいものです。

文学的文章の読解

以下の文章を読んで、各設問に答えなさい。

ピストルがなると、①子ウサギたちが一斉に走り出した
ハルナはしばらく一年生が走る様子を眺めていた。無心に走る一年生の姿をみて、迷いが消えた。
(走る前からクヨクヨと悩んでいても仕方がない。自分もあんなふうに走ることだけに集中すればいいんだ。)

六年生の座席に戻ると、知美が一人で座っていた。右の足首は包帯をぐるぐる巻きにされている。ハルナが近づくと、知美は言った。
「②あんたがリレーのアンカーじゃ勝てるわけない。」
ハルナは目を見開いて、知美を見た。
いつもの女王様の顔だった。けれども女王様の目はいつもとは違った。
「ケガしたアタシに責任があるんだから、あんたはアタシの代わりに、ただ走ればいいんだよ。あとで色々言うやつがいたら、アタシが黙らせてやるから。」
ハルナは黙ってうなずいた。③本当の女王様がそこにいるとハルナは思った。

クラス対抗リレーが始まった。
ピストルが鳴ると、歓声が一層高まった。第一走者はいい勝負だったが、第二走者になると、やはりハルナたちのB組とC組の一騎打ちになってきた。歓声が悲鳴に聞こえてくる。④ハルナはいつの間にか息を止めていた
波乱は第三走者へのバトンリレーで起こった。B組が受け渡しに手間取り、C組が身体ひとつリードした。それでも差はわずか、アンカー勝負だ。ハルナはバトンゾーンに立った。自分の足で立っている気がしない。身体がふわふわする。
第三走者が近づくと、悲鳴に近い歓声がわんわんと響いた。声の圧力によろめきそうになりながら、ハルナは立っていた。
「ハルナ、お願い。」
真っ白になったハルナの耳に、知美の声が突き刺さった。
ハルナのピストルが鳴った
第三走者からバトンがハルナの手に叩き込まれた。
差はまだ身体ひとつだ。ハルナはC組のアンカーの背中を追った。腕を振る。地面を蹴る。⑥走る機械になって走る。もう何も聞こえない。白線だけがまぶしい。

問1

傍線部①「子うさぎたちが一斉に走り出した」とはどんな様子ですか?

考え方

比喩表現の説明の基本は連想です。連想は自由ではありません。「子うさぎ」から連想される意味を考えましょう。たとえば「白い」「小さい」「はねる」などです。

正解例『スタートの合図に合わせて、白い体操着の小さな一年生がはねるように走り出していく様子。』

問2

傍線部②「あんたがリレーのアンカーじゃ勝てるわけない。」とありますが、
1、ハルナは知美にこう言われて、どのような気持ちになったと考えられますか?最も適切なものを選びなさい。

  1. 知美がケガをしたせいで自分が走る羽目になったのにと腹が立つ気持ち。
  2. 知美に言葉に反撃して何か言い返してやろうと反発するような気持ち。
  3. 知美の言葉が全く想定外だったのでおどろき呆然とするような気持ち。
  4. 知美の言葉が人間味のないとげとげしいものだった事を悲しむ気持ち。
考え方

物語の読解では、このような「心理の問題」が中心です。心理の問題は「言われた事・された事」(言われた事・された事に対しての)「言った事・した事」および「人物の様子」で考えます。特に「心情を示す表現に注意が必要」です。この場合「ハルナは目を見開いて知美を見た」という部分が「した事」であり、「心情を示す表現」です。「目を見開いた」とは「目を丸くした」という事ですから、おどろきの表情です。答えはウです。

2、知美はどんな気持ちで言ったのですか?

考え方

この例題のポイントは「セリフを文脈でとらえる」という事です。表面上ヒドイ言葉でも文脈で優しい言葉に変わります。後の部分の知美の言葉「ケガしたアタシに責任があるんだから、あんたはアタシの代わりに、ただ走ればいいんだよ。あとで色々言うやつがいたら、アタシが黙らせてやるから。」を整理して答えにすればいいのです。

正解例『自分がケガをしたせいでリレーのアンカーになってしまったハルナが、プレッシャーを感じているのをわかっていたので、楽な気持ちでただ走る事に集中して欲しいという気持ち。』

問3

傍線部③「本当の女王様がそこにいる」とありますが、ハルナはどうして知美を「本当の女王様」だと感じたのですか。その理由として最も適切なものを選びなさい。

  1. 威厳と慈愛を持ち、女王としての責任を負う強さがあるから。
  2. 威厳と慈愛を持ち、女王としての地位を守る強さがあるから。
  3. 権力と権威を持ち、女王としての命令を伝える強さがあるから。
  4. 権力と権威を持ち、女王としての職務を果たす強さがあるから。
考え方

問2の2の答えを考えても、知美は『ただいばっているのではなく、ハルナがプレッシャーを感じているのに気づくような心配りができ、負けたとしても自分が守ってやるという責任感がある』とわかります。
答えのポイントは、知美がハルナに心配りをしているという事、最後に責任を負うのは自分だというリーダーシップ(責任感)がある事です。また、知美の言葉の後に注目してください。「女王様の目はいつもとは違った」という事は、そこに優しさや思いやりみたいなものがあると想像できます。女王としての強さももちろんありますが、その強さは責任を負う強さです。
あとは選択肢の吟味です。前半部分をみると「威厳と慈愛」があてはまりそうです。「権力と権威」では「優しさや思いやり」が入りません。次に後半部分です。知美はクラスのリーダーとして責任を感じているのであり、自分のリーダーとしての立場を守るために発言しているのではありません。したがって答えはアです。

問4

傍線部④「ハルナはいつの間にか息を止めていた」とありますが、
(1) このときのハルナの気持ちを答えなさい。

考え方

「息を止めていた」という表現は、緊張感を示す表現だと推察できます。気持ちを説明する記述問題でも、基本の考え方は〈言われた事・された事〉です。「○○されて」「○○と言われて」「××な気持ち」になるという形式で考えます。
この場合、「第二走者になると、やはりハルナたちのB組とC組の一騎打ちになってきた」事が「○○されて」にあたります。また「いつの間にか」という表現も答えの要素に加える必要があります。

正解例「第二走者になって自分たちのB組とC組の一騎打ちになってきて、自分でも気づかないうちに緊張する気持ち。」

(2) このときと同じ気持ちが表れているハルナの様子がわかる一文を書きぬきなさい。

考え方

緊張感だとわかると「自分の足で立っている気がしない。身体がふわふわする。」という部分があやしいと思うはずです。次に設問の条件に気をつけましょう。「ハルナの様子がわかる一文」とありますから、「自分の足で立っている気がしない。」ではだめです。これはハルナの気持ちの表現です。そう考えると「身体がふわふわする。」も気持ちの表現だからダメです。様子の表現は更に先の「声の圧力によろめきそうになりながら、ハルナは立っていた。」という一文です。このように答えの候補が複数あって、設問の条件や要求に応じて答えを限定していくという問題もよくあります。すぐにエサに飛びつかず慎重に答えを考えたいものです。

問5

傍線部⑤「ハルナのピストルが鳴った」とありますが、このときのハルナの様子を説明しなさい。

考え方

物語の問題の基本は「言われた事・された事」を見る事ですから、直前の一文に注目しましょう。「真っ白になったハルナの耳に、知美の声が突き刺さった」とあります。緊張で頭が真っ白になったハルナの耳に知美の声が聞こえた事で、ハルナのピストルが鳴ったわけです。「ピストル」とはスタートの合図のピストルですから、緊張感で心がどこかに行ってしまいそうなハルナが、またスタートラインに引き戻されたという事です。

正解例「緊張感で頭が真っ白になったハルナが、知美の声で我に返った様子。」
「我に返った」は「冷静さを取り戻した」など別の表現でもいいでしょう。

問6

傍線部⑥「走る機械になって走った。もう何も聞こえない。」とありますが、このときのハルナの様子を説明しなさい。

考え方

これも問1と同じ比喩表現の問題です。直前の表現がヒントです。「ハルナはC組のアンカーの背中を追った。腕を振る。地面を蹴る。」とあります。「走る機械になった」とは「腕を振る」「地面を蹴る」といった走る動作に集中している様子だとわかります。「もう何も聞こえない」という表現も集中して余計な事は考えていない様子ですから、「走る機械になった」という表現は集中を示すとわかります。

正解例「走る事だけに集中して、余計な事は考えない様子。」

※文学的文章では与えられた根拠から自分で考えるという要素が必要とされます。論理的文章以上に手持ちの語彙力が必要です。そういう意味では文学的文章のほうが、より国語力を要求されると言えるかも知れません。これまでの読書経験で培った力が活かせるという点では、国語が得意だった人には有利です。ただ、その場合でも「自分の主観」は封印するという事は決して忘れないでください。どのような場合にも「客観的・論理的に本文内で答えを考える」事は大前提なのです。国語が好き、読書が好きという人ほど、物語が読めてしまうがゆえに、主観に走ってしまう危険があります。
反対に国語が不得意な人、読書経験があまりない人は、論理的読解では有利です。余計な感想や意見は封印して、本文や設問に書いてある事だけで答えを考えましょう。文学的文章も論理的文章も、文章の隠された意図や行間などは読み込まないで、文章の見えている構造だけを追いましょう。

むかしむかし、私が影響を受けた批評家の本に『表層批評宣言』という著書がありました。それをモジッテ言うならば、私の読解方法は『表層読解宣言』です。文章という建物の骨格を読んで、深層を読まない事で、かえって文章という建物の「真相」は見えてくるというのが私の立場です。